小雨の中 1
通院の日は、今月も雨が降っていた。
診断が終わり、来月からの投薬量を決めると毎月、主治医と他愛もない話をする。
「お休みとれないんやったら、奥さんに区役所に行ってもらえばいいじゃないですか」
主治医が言う通り、早急に区役所に書類を提出する必要があった。
この書類を提出すれば、ばかにならない毎月かかる薬代の一部を、行政が負担してくれると言う。
“とうとう、俺もお国の世話になる様になってもうたか。焼きが回ったな”
と情けない気持ちが浮かぶ。
「そんなん嫁が、行ってくれると思います?嫌やぁ言われて終わりですよ」
僕がそう返すと先生が笑った。
紫煙を吐き出しながら、顔をしかめる嫁さんの姿が一瞬、浮かんだ。
この年になるまで自分が、障害を抱えているとは思ってもいなかった。
若い頃に抱いた夢を放棄し、三十代後半で僕は社会に出た。
若くなく、今までアルバイトくらいしかした事がない人間が、すんなりと適応できる程、社会は甘くない。
そんな人間が簡単に社会で活躍し、自分なりの幸せを容易く手に入れられたら、若い頃から社会で揉まれ続けた人達はどうなるのか。
仕事は、なかなかうまくこなせない。
サラリーマンとしての生活ペースにも、馴染む事ができない。
そんな僕を拾ってくれた会社には、恩を感じるし、半年経った時点で適正なしと判断された時も色んな人が関わってくれて何とか僕は会社に残る事ができた。
当然、会社の足を引っ張ているのだから僕は周囲から何度も叱責された。
四十手前まで好き放題、生きてきたのは自分である。
そんな物は自業自得であり、急に真っ当な生活をしようと舵を切ったのだから、全てを受け入れて何としてでも会社の役に立てる様になるしかない。
しかしそうは思っていても、やはり日々続くこの戦いに音を上げて、僕は何度か仕事中に涙を流した。
四十手前のオッサンが職場で泣き出すのである。
回りの人は本当に大変だったと思うし、そう思えば思う程、情けなさと悔しさで涙は止まらない。
しかし人目を気にしていられる余裕何て物は自分にはなかった。
泣こうが喚こうが前に進んでゆくしかないのだ。
若いうちから好きな事だけをし、回りにいかにちやほやしてもらっていたか、その時に初めて気がついた。
しかしそんな僕でも、職場から孤立する事だけはなかった。
週末になると上司や先輩や若い子達が、僕を飲みに誘ってくれたし、仕事中も必ず誰かがフォローしてくれた。
仕事ができずに塞ぎ込み、周囲と溶け込めずに辞めて行く人を何人も僕は見た。
だから暗く沈んでゆく事だけはしてはならない、気持ちだけは折れてはならないと自分に毎日、言い聞かせていた。
そんな僕を周囲の人達は、懐深く受け入れてくれた。
いつも出会う人には、自分は恵まれ過ぎている。
ただ僕も、漫然と虚ろな夢を追っていたわけではないのだ。
若い頃から楽屋で先輩達には、自分から切り込んでいかなあかんと叩き込まれていたし、積極的に何処でも前に出ないと何も掴み取る事等できないと知ってもいた。
その根底に根付いた精神は社会でも、十分に自分の武器になり得ると途中から気付いた。
相変わらず、なかなか仕事で成果を上げる事は出来なかったが僕は喰らいつき続けた。
「あいつは根性だけはある」とそこだけは一定の評価をしてもらう事もできた。
必死であがいていると時間は、まさに飛ぶ様に過ぎてゆく。
気がつくと入社してから二年が経っていた。
その間に僕は念願だった結婚もした。
時が経っても、仕事でのミスは減らない。
様々な事を自分なりに試してみたが、一向に改善されない。
周囲からの目は、日に日に厳しくなってゆく。
当たり前である。
この仕事で金銭を得ている以上、結果が全てなのだ。
何を試そうが工夫しようが、結果に変化がなければそれは、何も改善していないのと同じと見なされる。
お笑いの賞レースもネタ合わせを幾らしようが、客席からの笑い声やネタに光るセンスが伴わなければ上にゆく事等、できない。
正直、もう八方塞がりで、どうこの局面を乗り越えようかその手立てが全く見えなくなっていた。
そんな時に僕は、親会社の上司に呼び出された。
“あぁ、もう戦力外通告を下されても何も言えないな”と僕はびくびくしていた。
「何か異常があるのかもしれない。一回、ちゃんと見てもらえや」
鋭い目で上司は僕にそう言った。
僕はそんな風に自分は見られていたのかと一層、情けなくなり、あろう事かその上司からの助言を笑って誤魔化した。
人としてどうかしている。
人の機能に異常があるかもしれないなんて軽々しく口にできる事ではない。
ある程度の確信と、後に起こるであろう波を受け止める覚悟がないと、なかなかそんな事は口にできないだろう。
そんな事には何も考えを巡らせず、自分が受けるダメージを少しでも和らげようと笑って誤魔化す。
そんなヤツは社会に適応できるかとか言う以前に、根底がもう腐り果てている。
「だからお前は真剣じゃない。もう結婚もしたんやろ…もういい…」
上司は、こいつに言っても、徒労でしかないと感じたのかそこで言葉を濁した。
さすがにこれは堪えた。
親身になってくれる人からの助言を受け止めずに、自分が傷つかないためだけにかわす。
いつも優先事項は保身や自衛であり、関わってくれてる人達の思いや労力に報い様としない。
そんなヤツの何処に根性や精神力があると言うのか。
何とかすんでの所で、自分を省みた僕は上司の言葉を回避せずに正面から受け止め様とした。
自分に異常がある…?
そんな事は考えもしなかった。
確かに昔から何をやっても器用にこなせなかったし、人より時間をかけないと何でも一定の水準まで持っていく事ができない。
ただそれは、自分が要領が良くないからだとずっと僕は思っていた。
そして一番、自分でも説明がつかないのが仕事や家庭での不注意の原因である。
はっと気がつくと仕事でミスを犯していたり、家では嫁さんから咎められて初めて自分が何かをしでかしたらしい事に気づく。
その間の記憶が、ごっそりと抜けていて幾ら考えようともその原因がよくわからないのだ。
そこには、自分が思いもかけない原因があるのだろうか。
もしかしたら自分でコントロールできる範疇の外に、その答えがあるとしたら…。
しかしもし自分が何かの障害を抱えていたとしても、それがこの年齢になるまで発覚しないなんて言う事が、果たしてあるのだろうか。
家に帰り早速、パソコンで自分の症状について調べてみた。
直ぐにある障害にぶち当たり、チェックシートが着いていたので、それをやってみる。
幾つかの質問に答えて、キーを押すと結果が画面に表示された。
“早急に医師の診断を受けて下さい”と警告文が出ていた。
それでも半信半疑だった僕は、その障害について特集している動画を見てみた。
それを見ている途中にはっとし、全身に鳥肌が立ってゆくのがわかった。
動画では、ある障害を持った方がインタビューに答えている。
その内容が、僕が今まで周囲の人達に漏らしていた事と類似していたのだ。
「集中力の照準が合わない…」
僕が、それを話した人達はみんな不可解な顔をしていた。
いつもそう言うリアクションが返ってくるので、僕はそれを余り言わない様になった。
「ヤバい事になってもうたな…」
それから僕は、この障害を受診できる病院を探した。
市内にも数件しかなかった。
その全てに連絡を入れて、一番早くに診てもらえる所に予約を入れた。
それでも予約がとれたのは、一ヶ月半後だった。
今直ぐにでも診察してもらいたい僕は、悶々と日々を送る事となった。
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