小雨の中 2
初めて梅田にある病院に行く日、僕は平常心を保てていなかったと思う。
人で溢れ返る地下街を抜けて、地上に出ると小雨が降っていた。
傘を持っていなかったため、細く冷たい雨に僕は全身を晒す事となった。
自分に障害があるのではないかと言う不安と、もし障害がないのだとしたら仕事中に不可解にミスを犯す原因がもう見当たらなくなってしまうと言う不安。
そんな相反する二つの不安に僕は苛まれていた。
どちらにせよ、一刻も早く明確な答えが欲しかった。
雑居ビルの六階にそのクリニックはある。
木製の洋式椅子が並ぶ小洒落た待合室は、リラックスを強要されている様で全く落ち着かなかった。
何故、心身ともに健康な自分がこんな所にいるんだろう。
会社の健康診断で出る数値は、ずっと正常を示している。
そしてメンタル面での図太さが、僕の売りではなかったか。
それは単なる幻想で、ずっと以前から僕の何かしらの回路が破損していたと言う事なのだろうか。
待合室で受付の女性に、様々な質問が書かれた紙を渡された。
相場は、この受付の女性が美しかったり、色気が凄かったりするもんじゃなかろうか。
それ目当てでクリニックに通ったりするから人生とは釣り合いが取れると言うものだろう。
僕に紙を渡してきた女性は、いかにも大阪のおばちゃんと言う風体で、これから自分にとっていかつい展開が待っていそうだと言うのに一時、気を紛らわす事さえ叶わなかった。
僕は、その紙を熟考し丁寧に書いた。
暫くして診療室に呼ばれた。
かなり広めの診療室には、ゆったりとした椅子があり、そこに僕と同年代くらいの医師が座っていた。
その医師に今までの自分の経歴やら、職歴やらをこと細かに聞かれ、様々な事を質問された。
始めは僕も緊張しつつ丁寧にその質問に答えていた。
しかしあまりに長時間、執拗に様々な事柄について聞いてくるので、途中から仕事終わりで疲れていたのもあって頭が惚けてきた。
何時間経ったのかは、よくわからなかったが
最後に医師は、僕がある障害を抱えていると言った。
「え… マジっすか?どの辺でそうなんすか?」
「私は質問する時に声をひそめたり、はっきり話したり、ペースを変えたりしていたんです。気づいてましたか?」
「いや、全く…」
「そうでしょう。全然、それに対応できていませんでした。よく話しが飛ぶとか、人の話を聞いていないとか言われませんか?」
確かに僕は話す殆どの人達に、よく「話し飛ぶなぁ」と言われていた。
しかもそれに全く自覚がなく、そう言われて初めて“話し飛んだのか”と気が付く始末だ。
そしてもう一つの「人の話を聞いていない」と言うのが問題で、僕はその所為であらゆる人とトラブルになったり信頼を失ったりしてきた。
若い時には、それが原因で彼女から別れ話を切り出された事もあった。
そんな事が頻繁に起こり、平気で何の改善も試みない人等、いるのだろうか。
当然、僕は会話中、意識的に聞こう聞こうと何度も意識したり、阿川佐知子の「聞く力」や吉田豪の「聞き出す力」を何度か読んだりもした。
しかし何をしても効果はなかった。
始めは話を聞けているのだが、何処かで必ず他に意識が飛んでしまう。
気がつくと相手の話が終わっている。
しかも何処に意識が飛んだのかも思い出せなかったりするのだ。
これはシリアスな場面では致命的で「おい!聞いてんのか!お前!」となってしまう。
それは当然の事だと思う。
医師は、「それはこの障害の典型的な症状です。あなたに話を聞けと言うのは、目が不自由な方に見ろと言う事と同じですよ。努力でどうにかできる物ではありません」と言葉を選びながら言った。
これから人と話しをする度に、その話しを遮って「僕、障害ありますねん。人の話しが聞けなかったりしますねん」とでも言わねばならないのだろうか。
その場にどんな空気が流れ込むのかなんて考えたくもないし、そんな面倒くさい奴と誰が話しをしたいと思うのか。
それに今まで起こってきたトラブルに誰にも非がなかったとなると一体、僕は何のために信頼を失ってきたのか。
暗い気持ちに支配され黙っていると、その沈黙に耐えかねたのか医師が話し掛けてきた。
「この年齢になるまで障害を治療もせず、何の援助も受けられていないんですよね?それで大学も出て、芸能関係のお仕事を長年やられて、今もちゃんとお仕事をしていらっしゃる。それに結婚もしておられる。ハンデがあってなかなかできるもんじゃないですよ」
そんなもんだろうか。
大体、僕には今まで自分がハンディキャップマッチを戦っている自覚が全くなかったのだ。
ただ漠然と何かがおかしいとは、ずっと思ってはいた。
それにしても、医師の口から“ハンデがある”と実際に言われるとなかなか堪える物がある。
今まで散々、“天然”とか“おかしい”とか言われ続けてきたが、自分はその範疇ではなく、“ほんまもん”だったのだと思うと何かやり切れない気持ちになった。
「先生、乗り越えられるんでしょうか…?」
心が乱れているせいか全く意味のない質問が口をつく。
乗り越えられるかどうかなんて人に聞くものではないし、そう聞かれて「無理です」と言う医師なんているわけがない。
劣勢を跳ね返せるのは、当人の強い意思だけだ。
そんな事は痛い程、わかっている筈だが聞かずにはいられなかった。
しかしこんな面倒くさい質問に対しての医師の応答が秀逸だった。
「何を言ってるんですか?乗り越えるも何もあなたはもう乗り越えてるじゃないですか。会社だって解雇されるわけじゃないでしょう。障害があるからってあなたの奥さんは離婚する様な人なんですか?」
確かにミスは普通の人よりは多いかもしれない。
しかし何とか利益を出せているから、僕は会社から淘汰されずに済んでいる。
ただこの先、会社での自分のポジションが変化するにつれて、それに対応して利益を生み出せるのかどうかには不安があった。
そして医師が言う様にうちの嫁さんは、僕に障害があると知っても、動揺する様なタマではない。
ただ新婚早々、旦那に障害があると発覚するのは、きついだろうなとは思う。
障害が発覚した直後である。なかなか前向きな思考を構築する事は難しかった。
今まで朦朧としていた物の輪郭がはっきりとし、実体を表したのだ。
今までにない好機が訪れているわけで、ここで今後の対処を医師と相談しなければならないと頭では思うのだが、ハートがそれについてゆかない。
とりあえず自分の脳髄が何故、機能していないのかその辺から知ろうと医師に尋ねてみた。
六割と言う数字が更に僕を暗澹たる気分にさせた。
「ただ心配する事ばかりではないのです。障害と言うのは、一つあるとそれをカバーしようと他の機能が発達します。あなたの場合もそうで、ある部分では健常者の方より劣っています。しかし違う部分では健常者の方より優れている部分もあるのです」
マイナスばかりではなく、プラスの部分もあると言う事なんだろうか。
医師のその言葉に僕の闘志が微かに反応した。ここに攻略の糸口があるのかもしれない。
「それ詳しく聞かせて下さい」
「健常者の方の様々な能力を五段階に分けるとします。個人差はあるでしょうが大体、三付近に均等に能力値が振り分けられるのです。あなたの場合は能力値が一の所もあれば、五の所もあるのです。脳の発達に偏りがあるだけなんです」
野球に例えると普通の人はどんな投手が来ても大体、三割前後はヒットにする事ができる。
しかし僕の場合は投手によって、三振かホームランかのどちらかしか結果が出ないと言う事だろうか?
監督の立場なら三振かホームランかと言う人物よりも、手堅くどんな時も三割ちゃんと結果を残せる人物の方が安心して使える。
だけど三振しかしないヤツよりは、たまにホームランを打てるヤツの方がよっぽどましではある。
大体、僕は人生諦めたり辛いとか言ってる様なヤツは好きになれない。
楽天的だとか何も考えてないとか言われ様が今よりも浮上しようと、足掻かなければ意味がないと思っている。
すぐに医師に、この障害のマイナス面とプラス面を聞いた。途中、話しが聞けなくなるといけないので医師に頼んでそれを箇条書きにしてもらった。
マイナス面
⚪集中力の欠落による、作業中のミスの増加。指示がうまく理解できない所がある。
⚪空間把握能力が乏しく、末端運動が巧く行えない、不器用。
⚪ワーキングメモリーの不調による頭の中の混乱。覚えておかなければならない事を忘れてしまったり、重要ではない事を覚えていてしまう。情報の整理ができない。
他にもたくさんあるのだが、仕事に支障が出ているのは主にこの三つだと思われる。
特に頭の中の混乱は酷く、仕事中に幾つかの仕事を振られると発狂しそうになる程、意識がうまく統一できなくなる。
僕は以前、お笑いのライブをまとめなければならない立場にいたのだが、ライブ前にはしなければならない準備が多く、よくこの状況に陥っていた。
プラス面
⚪いざと言う時の行動力、迷わず決断する力
⚪豊かな創造力と独創性
⚪人間関係に執着せず根にもたない
医師が書き連ねてくれた、ずらりと並んだ箇条書きを見ているといかに自分の人生が、良かれ悪かれこの障害によって左右されて来たのかが理解できた。
確かに仕事で支障が出ている部分はあるが、人間関係や行動力の部分で救われている部分も多いにあるのだ。
医師が言った「この障害の特性を生かして成功している人も多くいます」と言う言葉にも頷けた。
僕が恵まれていたのは、やはり障害を見抜いて通院まで進めてくれた人に巡り会えた事だ。
このまま自分の障害に気付かず放置されてゆくとなると、かなり厳しい状況に自分は追い詰められていた事だろう。
普通、仕事でミスを重ねるとなると駄目なヤツだと解雇されるか、他の部署に飛ばされて終わりだと思う。
なかなかその原因まで掘り下げて考えてくれる人なんていない。
感謝はしても仕切れないし、やっぱり凄い人と言うのはいるものである。
障害と言うのは、病気とは違って治る事はない。
これから僕は投薬と対処療法で、この障害と対峙してゆかねばならない。
莫大な借金を抱えた人が開き直って、それを笑い話に変えたり、生死の境をさ迷った人の価値観が大きく変わる事が世の中にはある。
三十代後半から初めて社会に出て、しかも障害まで発覚したとなるとこれはなかなか今の僕では手に負えない物がある。
だからこそ僕は何とかこれを乗り越えて、大きく殻を破りたいとも思うのだ。
最後に医師が僕の書いた症状等を説明した紙を見て「あなたは文章を書いた方がいい。聞く事で十分に得られない情報をあなたは読む事で補完してきたと思われます」と言った。
確かに本は集中力が切れてきたら閉じてしまえばいいし、気が向いたらまた続きから読めば良い。
肌身離さず、自分が何かの文庫本を持ち歩いている意味がわかった様な気がした。
少しして僕はブログを書こうと思った。
ある人が昔、僕につけてくれた“鉄人”と言うあだ名をタイトルに入れた。
その人も様々な病気と戦っている人だ。
クリニックを出ると、もう雨は止んでいた。
濡れたアスファルトから懐かしい匂いが立ち込めていた。
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