寄席
久し振りに訪れたミナミの街は、相変わらず混沌としていた。
細い路地の到る所で人が密集し、熱気を孕んだ空気が立ち上る。
僕は十年以上、この街で暮らしていた。
過去の残像が色濃く残るこの街は、やはり僕の気分を高揚させた。
ミナミでの所用を終えて、僕はかつて月に何度も通っていたある建物に向かった。
僕が、この街に住んでいた時の後輩が「ライブをやるから見に来ませんか?」と誘ってくれたのだ。
ちょうどミナミに行く用事もあったので、僕はそのお笑いライブを見に行かせてもらう事にした。
受付でネタ順が書かれた紙を貰い目を通す。
ちらほら知っている名前もあったが、殆どが知らない若い人達だった。
敗者は確実に淘汰されてゆき、変わりは毎年、幾らでも入ってくる。
やっぱりシビアな世界だなと思う。
来るべき大舞台に備えて、ネタを試したり、研いだりするための舞台。
これが今日のお笑いライブの主題だった。
出囃子が鳴り、芸人さんが出て来てネタを披露する。
その繰返しが淡々と行われてゆく。
それが潔くて心地好かった。
ライブへの過剰な思い入れや、裏側の仲間意識等はこうやって見る側に回ってみると何の関係も必要性もなかったりするもんだなと思ったりした。
ネタを見ている内に「凄い発想するなぁ」と素直に思ったコンビが何組かいた。
こう言う事は努力して百人が百人できる事ではない。
できる人の方が少ないだろう。
でもそれがどうやったら金銭に結びつくのか、ぼんやり考えたりしたが、やはりわかろう筈もなかった。
特殊な技能を有していながら、それが金銭に結びつかないとしたら…。
そんな事を考えたりする僕が俗物なのだろうか。
今日、僕を誘ってくれた後輩の出番が来た。
彼のネタを見るのは、いつ以来だろうか。
やはり彼の発想は目を見張る物がある。
なかなか希有な事を考えるなと素直に思った。
端から見ていると彼は迷っている様にも見えるかもしれない。
不意に懸命に自身がやって来た事を中断し、他の分野に手を出したかと思えば、しばらくしてまた元居た場所に戻ったりする。
僕が彼と深く付き合う様になってからも、そう言う変化が幾度かあった。
しかし彼の行動や表現は変化しても、彼が面白いと思っている事は少しもぶれていない。
彼が突如、お笑いと言う表現手段を放棄し、小説を書き始めた時期があった。
“どうしたのか?”と回りもざわついていたし、正直に言うと僕も彼のその決断に疑問を持った。
その時に彼が書いた小説に大体、目を通したのだが、その小説は彼のネタ、そのものだった。
文字で読むと大抵の場合、面白味が失われるものだが、彼の小説は荒かったが十分に面白かったし、その希有な発想は存分に発揮されていた。
表面的な物は、多少、揺れる事はあるのかもしれないが、彼の魂や根元はいつ見ても変わっていない。
そんなに根がぶれない男が迷走したりするもんだろうか。
薄暗い客席で、ぼんやりそんな事ばかり考えていると不意にある事に気付いて、はっとした。
もしかしたら彼は、見切りが早いだけなんじゃないだろうか。
興味がある事や、自分がやりたいと思った事には手を出す。
しかしそこに自分が目指す物や未来がないと見るや、少しの未練もなく、ぱっと方向転換する。
その見切りの早さは、一見すると思いつきだけで行動している様に見えるのかもしれない。
ただ見切りの早さは武器だったりもするのだ。
なかなか見切る事ができずに、ずるずると時間や労力を投入し、結局、何も手に入れる事ができないと言うのは始末が悪い。
彼の様に見切りが早ければ、いつか何かを掴む瞬間がくるのかもしれない。
そのライブがあった次の日、他の後輩達と共に彼も僕の部屋に来た。
みんなで餃子を食べながら他愛もない話をした。
僕も彼らも、まだまだ何かの途上である。
彼らが何処かへ辿り着こうとしている様に僕にも辿り着きたい所があるのだ。
またこうしてみんなで会って他愛もない話ができればいいなと思う。
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