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あしたの鉄人

戦々恐々の日々

キン肉マン

  

 うだる様な暑さの中、保護具を着けて作業している所為か、時間に常に追われているためか原因はよくわからないけれど、ここ最近、ずっと頭が潤けている様な気がする。

 

 仕事の事も、家庭の事も考えねばならない事案は、僕の脳髄の容量から溢れ出る程、あると言うのに、意識はずっと漫然としている。

 

 この秋に、長野で家族だけの結婚式を挙げる事になっていて、その後、すぐにマイホームを購入する予定である。

 

 式の準備と物件探しで休日の時間と、僕の身心が削られてゆく。

 

 その過程で、様々な人と交渉したり、雑多な情報やデータを収集せねばならず、余りの重圧と億劫さから全てを突然、放棄してやろうかと言う気さえしてくる。

 

 数年前まで自分の未来を考える事は、濁り切った河川の底を覗く様な物だった。

 

 今でも、決して澄んではいないんだろうけど、自分の全てを使って、その濁りを何とか濾過してゆかねばと言う気概はある。

 

 どれだけ追い詰められようが、疲弊しようがここで全てを投げ出すわけにはいかないのだ。

 

 会社で仲良くして貰っている人達や、職業訓練学校時代の友人達、大学時代の友人達も、自分の家庭を持っている。

 

 家族を守るために、疲れ切る事もあるだろうに皆、そんな事は一切、表に出さずに日々を送っている。

 

 だから一緒に酒を飲んでいると、ふとした瞬間に“この人も強いんだなぁ”と思う事が多々ある。

 

 先日、深夜にテレビ画面を眺めていると、不意に僕が好きな芸人さんが出てきた。

 

 その時も僕は疲れていて、干上がった意識の中でただ視線を画面の方に向けていた。

 

 経緯はよくわからないのだが、その芸人さんが恋愛に否定的な男達に向けて吠えている。

 

「それはオッパイに興味がないんやない!オッパイを揉むための戦いから逃げてるだけやんけ!」

 

 余りの馬鹿馬鹿しさと、確かな熱量に押されて僕は爆笑し、一瞬にして画面に釘付けとなった。

 

 半分、寝かかっていた嫁さんも笑いながら「何、言ってんの?」と呟いて、上半身を起こした。

 

 深夜に疲弊した人間を、一瞬にして自分の方に向かせるその馬力と熱意が、何だか格好良かった。

 

「サボテンでさえ人を好きになんねんぞ!」

 

「それは、オッパイ揉めへん事を社会のせいにしてるだけやんけ!」

 

「負けるとわかってても、その戦いに参加せなあかん時があんで!」

 

 笑いながらも、魂の込もった叫びが酷く心地良かった。

 

“どんな強敵にも、逃げずに戦う”

 

 幼少の時に見ていた僕の“ヒーロー”も、ずっとその姿勢を貫いていた。

 

 番組が終わったのでテレビを消して、寝る前に少しだけ今日、買った本に目を通す。

 

ダ・ヴィンチ 中村文則大特集”

 

“謀略の太平洋戦争 ~長期戦に引きずり込まれ、残忍な悪役にされた日本~”

 

キン肉マン大解剖”

 

 会社の帰りに京橋で、今日はこの三冊の本を買った。

 

 どれを読もうかと逡巡していると、それを見ていた嫁さんが「あんたの趣味がようわからへんわ」と言った。

 

 確かに嫁さんの言う通り、僕が買ってきた本には全く統一性がない。

 

 先程の芸人さんの雄叫びが、気分を高揚させた所為か、僕のヒーローである“キン肉マン大解剖”を選んだ。

 

 超人オリンピック編、七人の悪魔超人編、黄金のマスク編、夢の超人タッグ編…

 

 小学生の頃、胸を熱くさせたキン肉マンと正義超人達の戦いを振り返る企画。

 

 そして中盤に、当時の少年ジャンプに掲載されたカラー原稿のまま“タイムリミット30分の巻”が丸々、収録されていた。

 

 幾多の戦いの中から、この“タイムリミット30分の巻”をチョイスする所が堪らなかった。

 

 ウォーズマンの必殺技、パロスペシャルでキン肉マンは絶体絶命のピンチに追い込まれてゆく。

 

 しかし火事場のクソ力で何とかそれを破ったキン肉マンが、最後のニページで必殺技キン肉バスターを繰り出しウォーズマンを倒す。

 

 このテンポの良さと迫力は、三十年近くを経た今でも全く色褪せる事はない。

 

 当時、小学生の低学年だった僕が通っていたスイミングスクールから家に帰ってくると、幼稚園児の弟が母に抱きついて泣いていた。

 

「どうしたん?」と聞くと、弟が泣きながら「ウォーズマンラーメンマンの頭をベアクローで刺した」と言った。

 

 弟はウォーズマンスクリュードライバーラーメンマンの側頭部を抉る場面を、テレビで見てしまいショックを受けて泣いているらしかった。

 

「ほんまに残酷なマンガやで」と母が吐き捨てる横で僕は、次にウォーズマンと戦う事になったキン肉マンの身を案じたものだ。

 

 急に懐かしくなり、小学生の頃に祖母に全巻買って貰ったキン肉マンを本棚から引っ張り出す。

 

 もうぼろぼろになったキン肉マンの横にまだ真新しいキン肉マンが置かれているのに気がつく。

 

 キン肉マンは僕が小学生の頃に一度、三十六巻で終わっている。

 

 しかし五年前に復活し、なんと二十数年ぶりに三十七巻が発売されたのだった。

 

 僕はそれを買ったのだが、直ぐに読む気にはなれず本棚に置き、そのまま読まずに忘れてしまっていた。

 

 ちょっと読んでみようかとキン肉マンの新編に手を伸ばす。

 

 表紙裏に書かれた作者、ゆでたまご先生からのメッセージにいきなり心を打たれた。

 

“あの男が活躍した79年~87年、日本は本当に元気でした。少年達もあの男を見て笑い、あの男を見て泣き、本当にパワーに満ち溢れていました。翻って現代、日本はすっかり元気がなくなりました。あの頃の少年達は大人になり、実社会の中で少し疲れ気味です。あの頃の少年達、そしてその子供達に元気を出して欲しい。そのためには、アホでドジだが友情に厚いあの男の再登場しかない!”

 

 確かに衰退国となったこの国の社会で、何とか足掻いているキン肉マン直撃世代の僕達は、疲れているのかもしれない。

 

 その僕達を元気づけるためにキン肉マンが復活してくれると言うのか。

 

 そこから僕は、キン肉マンの新編を貪る様に読み始めた。

 

 正義超人、悪魔超人、完璧超人が平和協定を結んだ直後に宇宙から来襲してくる真・完璧超人軍。

 

 襲って来る真・完璧超人軍に真っ先に向かってゆくジェロニモスペシャルマンカナディアンマン、何故か同じ場所にいるテリーマンは傍観しているだけ。

 

 案の定、一瞬にしてボコボコにされるジェロニモスペシャルマンカナディアンマン

 

 正義超人一のナイスガイ、テリーマンは叫んでいるだけで助けに行く気配すらない。

 

 何もかも、あの頃のままだ。

 

 懐かしさが、込み上げる。

 

 ここでキン肉マン率いる正義超人軍団が現れ、真・完璧超人軍との対抗戦に突入するのがいつものパターンだ。

 

 しかしなんと真・完璧超人軍を倒そうと現れたのはバッファローマン率いる七人の悪魔超人達だった。

 

 このまさかの展開にいきなり僕は、心を鷲掴みにされてしまった。

 

 今までの二十数年のフリを、見事に裏切るこの展開。

 

 何しろ、ステカセキングやミスターカーメン達が、悪魔超人特有の“ケケケケケ”や“カカカカカ”と言った奇怪な笑い声を上げながら、真・完璧超人軍と熱い戦いを繰り広げるのだ。

 

 純粋に面白くて仕方がない。

 

 相変わらず、あれ?こいつ前、死んだんちゃうんかい!と思う所や、バッファローマンよ、お前は正義超人に付いたり、悪魔超人に付いたり、信念ないんかい!とツッコミ所は満載だ。

 

 矛盾だらけで伏線が一つもないとよく揶揄されるキン肉マンだが、作者のゆでたまご先生は雑誌のインタビューで「面白ければ何でも良いんです」と大らかに答えている。

 

 それ所か「今の漫画家は、細かい伏線に縛られてかわいそうだ」とも語っている。

 

 僕達の世代のフェイバリット漫画は、小さく纏まる事を良しとせず、熱量や大らかさが如何に人生を充実させるかを教えてくれる。

 

 僕も疲労が濃いとばかりは、言っていられない。

 

 火事場のクソ力で、この秋に控えている様々な戦いを乗り切ってゆこうと思う。