あしたの鉄人

戦々恐々の日々

バス停

 

 仕事から、帰るとまだ嫁さんが帰宅していなかった。

 

 今日は僕の方が、早く仕事を終えた様だ。

 

 先に帰宅した方が、夕食の準備をする。

 

 それが我が家のルールである。

 

 仕方なく、米を炊く用意をしていると電話に嫁さんからの伝言が入ってきた。

 

“体調が悪いから、夕食はいらない”

 

 伝言を見て、心配になった僕は、すぐに嫁さんへ電話を架けた。

 

 確かに嫁さんの声はいつもより、か細くしんどそうだった。

 

「バス停まで迎えに行こか?」

 

 と僕が言うと「いい……」と力なく返事をし、電話が切れてしまった。

 

 何故、不調の時に旦那に強がる様な真似をするのかと少し腹が立ったが、それが彼女の性格である事は承知している。

 

 いちいち些細な事で、引っ掛かっていても仕方がない。

 

 リビングで煙草を吸った後、僕は嫁さんを迎えにバス停に向かった。

 

 人の体調が心配になり、迎えに出掛ける。

 

 当然の事ながら、こう言うのは、独身時代の僕の生活には無かった事だ。

 

 億劫に感じない事もないが、嫁さんの心配をする事で、自分の中で張詰めたり、疲弊している物が和らいだりもする。

 

 パートナーの身を案じると言うのは、やはり人にとって大切な事だと思う。

 

 陽の暮れた団地の駐車場に出る。 

 

 少し前まで、執拗に粘りついてきた夜気も今は涼しく心地好い。

 

 公園横の歩道を通り、橋の上に出ると外灯に照らされたバス停が見えた。

 

 丁度、梅田方面から来たバスが停車し、嫁さんが下りて来る所だった。

 

 足取りが確りとしていたので、僕は少し安心する。

 

「大丈夫なんか?」と聞いてみると

 

「少し胃が痛いだけで大丈夫……」と嫁さんが素っ気なく答えた。

 

 そのまま無言で、部屋まで歩く。

 

 最近はお互いに仕事の合間を縫って、嫁さんは結婚式のための雑事をこなし、僕はマイホームを購入するための手続きをこなしている。

 

 結婚式の準備で揉めると言う、使い古されたあるあるを、勿論、僕達も一通りは経験していた。

 

 様々な物に追い立てられる毎日の中で、心を掻き乱される様な事が、勃発するのが結婚生活だと思う。

 

 しかしそれはそれでまた良い様な気もする。

 

 何よりこうして、待つ人がいる事も、待ってくれている人がいる事も、尊い事だと思うのだ。

 

 人の幸せとは、日々の心情の微妙な動きにあったりすると最近はよく思う。

 

 この国では、歯止めが効かないくらい未婚率が上昇しているらしい。

 

 結婚に対する後ろ向きな情報が氾濫し、価値観が多様化している、この熟れすぎた社会では、それも仕方がない事なのかもしれない。

 

 しかし未来に継がれてゆく物や、日々の愛情まで放棄してしまって一体、この国に何が残るのと言うのか。

 

 ましてや結婚を、メリットやデメリットで考えるなんて事は、無理矢理に規格の違う物差しを当てがっている様な物で質が悪い。

 

 確かに結婚には、様々な事柄に、労力と時間を全力で費やさねばならない側面が存在するとは思う。

 

 しかし、だからこそ人は己の範疇を飛び越え、成長し、新たなメリットを生み出してゆく事が可能になってゆく。

 

 何故、急に何の照れも無く、こんな事を僕が宣ったのかと言うと、それには先日あったある出来事が関係している。

 

 その日、僕は仕事が終わった後で、久しぶりに後輩と食事を共にした。

 

 焦げたガーリックの芳ばしい臭いが立ち込めるステーキハウスの店内で、僕はある漫才師の後輩と世間話しをしていた。

 

「僕には、全く結婚願望がないんです!」

 

 話しの流れの中で、その後輩が突然、そう宣言したのだ。

 

 正直、“相変わらず面倒くせぇヤツやなぁ”と思ったし、普段は表情も愛嬌も皆無な彼が、微かにドヤ顔をしていた事に何だか腹が立った。

 

 しかし同時に“結婚した事もないのに、そんな寂しい事を軽々しく言うなや”と強く思ったのだ。

 

 だが結婚生活の息苦しさや、自由のなさは容易に説明できても、普段、感じるあの心情が和らぐ微妙な空気感を伝える事はなかなか難しい。

 

 特に目の前にいるのは、何かを拗らせた、恐ろしく自己愛の強い三十六歳の男なのだ。

 

 薄くドヤ顔の残滓が漂う中で、僕は深入りしたらややこしくなるだけだと思い、曖昧な応対に終始した。

 

 ただやり過ごすだけでは、あのドヤ顔を清算する事が出来ないので「お前何歳やねん。大学生みたいな事、言うな」とは挟み込んだ。

 

 そこから彼の、止めどない愚痴を聞くと言ういつもの時間が始まった。

 

 彼と仲良くなって、もう随分と時間が経つが食事を共にすると漏れ無く、このオプションがついてくる。

 

 最初の二つ目くらいまでは、余りの深刻な雰囲気に押され、僕も真剣に聞き、自分のできる範疇でアドバイスを試みた。

 

 しかしその後は、僕は僕で不誠実かもしれないが、もう片手間でしか彼の愚痴を聞けなくなってしまう。

 

 素早く携帯のウィンドウに“世界で一番、Hな写真”と入力する。

 

 後は、検索して浮かび上がってきた画像を眺めつつ、彼が弾幕の如く吐き出す愚痴に何とか対処した。

 

 こう言う時に、いつも思い出すのが、僕の相方の事だ。

 

 相方は、この後輩のいつ終わるとも知れない愚痴や悩みを全力で聞く。

 

 誰とも真剣に向き合い、何度、裏切られてもまさに命を削る様にして何とか、人を前に進ませ様とする。

 

 相方のその誠実さは、いつ思い出しても、色褪せる事なく眩しい。

 

 エロ画像片手に、何とかこの時間をやり過ごしている僕には、とても真似が出来ない事だ。

 

 後輩は、あれだけ愚痴を吐き出しても、まだスッキリしていない様子だった。

 

 彼は、溢れある自己愛に蝕まれ、自我の根幹を腐食させてしまっているのかもしれない。

 

 自己愛なんて物は、誰にでもある。

 

 それがあるのが人間だ。

 

 ただ余りそれが強いと、やっぱり何処かでバランスが取れなくなってしまうんだろうと思う。

 

 自己愛でも何でも、愛に変わりはないのだから、その中の幾らかでも、人に注ぐ事が出来れば、彼の視野は何処までも広がってゆく。

 

 結婚願望がないと言い切る彼が、結婚する事によって獲得できる物は、とてつもなく大きかったりするのだ。

 

 終電前に、彼と別れて家路に着いた。

 

 “嗚呼、折角、久しぶりに漫才師と食事をしたのだから、もっとクリエイティブな話しがしたかったなぁ” 

 

 空席の目立つ電車に揺られながら、そんな事を思ったりした。