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あしたの鉄人

戦々恐々の日々

捕獲

  

 会社のゲートを出て、最寄り駅への階段を昇ってゆく。

 

 沈みつつある陽が、低空から遠くに見える市内の街並みを照らしている。

 

 改札口を出て、ホームに下りた所で職業訓練学校時代の友人と出会った。

 

「何かええ事でもあったん?」

 

 僕の顔を見るなり、彼がそう言った。

 

  僕と彼は、同じ職業訓練学校に通い、ほぼ同時期に何とか今の会社に拾って貰った。

 

 年齢が近い事もあって、彼に僕はとても心を許している。

 

 彼が言う様に、今日は仕事の最中に日々、薄くなってゆく脳天にガツーン!と響く様な出来事があった。

 

 その高揚感は仕事を終えて、こうして駅のホームに下り立った今も、僕の心身を心地好く包んでいた。

 

 疲れ切る事も多いけど、希に心幹が痺れる様な日もある。

 

 そんな仕事をさせて貰えている事が、何よりもありがたい。

 

 友人にその話しをすると、何とも言えない顔で一緒に喜んでくれた。

 

 彼の笑顔は、いつも優しい。

 

 僕も彼も、決して若いとは言えない年齢で何の経験もなく、前職とは全く畑違いである世界に飛び込んだ。

 

 そんな無謀とも言える挑戦が、最初から順調にゆく様なら誰も苦労なんかしない。

 

 彼も僕と同様に、自分より一回り以上も年齢が若い人に怒鳴られたり、何度も頭を下げたりしながらも、何とか今日までやってきたんだろうと思う。

 

 彼とは入社してから幾度も、一緒に酒を飲んで来たが、そう言う生々しい話はお互いに避け合ってきた。

 

 前職が行き詰まってしまい、その傷がまだ癒え切っていない時期も、形振り構わず仕事を吸収しようと今よりもっと苛酷だった時期も、酒の力を借りて、際限なく愚痴る様な真似だけは二人ともしなかった。

 

 彼には、奥さんとの間に二人の息子さんがいる。

 

 その家族を守り抜いてゆくと言う覚悟を、彼は極々、自然に持っていた。

 

 彼と比べると、自分が持っている覚悟は力んでいて、硬直している様に思える。

 

 まだまだ結婚して日が浅い所為か、僕は自分を言い聞かせたり、往なしたりしながら、何とか自己の覚悟を堅守しているに過ぎない。

 

 その証拠に、心身が弱ってくると自分とは異なる生き方をしている人達の特集動画を見て、何かに思いを馳せたりしている。

 

 俗物的な生き方を捨て、定職に就かずSNSを駆使して、何とか僅かな生活費を稼ぎながら自由に生きている若者達。

 

 田舎の村落に移住し、廃墟を安価で借り入れ、村の人達のお手伝いをしながら、無理なく生きている人達。

 

 そこには、何事にも変えられない自由がある様に思える。

 

 しかし幾つかの動画を観ているうちに、緩慢な動作を繰り返す人物達に嫌気がさして、やっぱり自分には、こう言う生き方は無理だなと気がつく。

 

 そして暫く、その類いの動画を見なくなり、疲労が蓄積されてくると再び、また自由人を追い掛けているドキュメンタリー番組を見たりする。

 

 そんな軽めの現実逃避を、僕は秘かに繰り返している。

 

 ただ自分より自由に生きている様に思える人達を見ていて、一つ気がついた事があった。

 

 それは、その人達が自由と引き換えにあらゆる物を放棄していると言う事だ。

 

 動画でクローズアップされている人達のほぼ全員が独身で、酷く荒れた部屋の中で長時間ごろごろとしている。

 

 僕よりずっと若いのに、緩い自由と引き換えに快適な居住空間やら、日々の生活に転がっている筈の愛情やらをいとも簡単に手放してしまっている。

 

 社会に出て時間が経ち、様々な構造が徐々に分かり出してくると、如何に会社員と言う立場が優遇され、有利に戦いを進めてゆく事ができる様になっているかが見えてきたりする。

 

 会社に時間や身柄を拘束されたり、複雑な人間関係の中で渡航を続けねばならないと言うのは、社会のほんの一端にしか過ぎなかったりするのだ。

 

 結局、僕はやっぱり俗物的で、曖昧な自由を獲得するために、全てを放棄する気には到底なれない。

 

「あぁぁ…もうしんどいな。田舎にでも逃げたろかなぁ」

 

 人で溢れる電車の中で、脇に立つ友人にそう呟いてみた。

 

「やめときや」

 

 彼からの返答は、それだけだった。

 

 直ぐにギブアップする人物や、停滞に甘える人物に彼は酷く厳しい。

 

 いつもは優しい彼のそんなシビアな一面が、僕はとても好きだったりする。

 

 京橋駅に着くと彼は、「ポケモンを捕獲しに行くから」と言って、大阪城公園に向かった。

 

 面白いオッサンやな。

 

 すっかり陽が落ちた駅のホームで、人混みに消えてゆく彼を見ながらそう思った。