試行
リビングに置かれているテーブルの周囲には、濃いソースの匂いが満ちていた。
目の前にあるホットプレートの上で、お好み焼きが泥々としたソースにまみれている。
その光景は、僕の食欲を強烈に刺激した。
夕刻に、職業訓練学校時代の友人が我が家に遊びに来た。
調理師の経験がある彼は、我が家流のお好み焼きの味を整え、鮮やかな手つきで、それを焼き上げてくれていた。
うちのお好み焼きは、擦った山芋を生地に大量に流し込む。
僕も嫁さんも、山芋の量に比例して、お好み焼きのふわふわ度が増すものだと思い込んでいたのだ。
山芋の量を適正に調整し、巧く捌かれているお好み焼きは、いつもにも増して、ふわふわしている様に感じられた。
焼き上がったお好み焼きの欠片を口に運び、酒を喉へ流し込む。
彼とは勤めている会社が違うため、微妙に休みが合わなかったりするのだが、家が近所と言う事もあり、月に一度は酒を共に飲んでいる。
僕は、もっと頻繁に会いたかったりするのだけれど、彼は「面白いけど疲れるから」と言う理由で山芋と同じく、一緒に酒を飲む頻度も調整してくれている。
結婚する前は当時、嫁さんが住んでいたマンションと彼の家がすぐ近くだったため、勝手に“黄金巡回”等と名付けて、嫁さんの部屋と彼の部屋を、僕は交互に泊まり歩いたりしたものだ。
そんな僕の傍若無人な振舞いが許されるのも、彼がとても度量が広い男だからだ。
付け加えると、彼がまだ結婚していないのでついつい甘えてしまう。
やはり結婚している友人達には、流石にがさつな僕も遠慮をしてしまうのである。
意外な事に、彼と僕の嫁さんはこの日が初対面だった。
これまでに幾度も嫁さんを紹介する機会はあったし、僕が彼の事をよく話すので、嫁さんも会いたがっていた。
しかし僕は、彼に嫁さんを会わせる事に、何故か消極的だった。
「そんなに私を、会わしたくないんや」と何かある度に嫁さんは言う。
僕は曖昧な返答を繰り返し、それをかわす。
そんな事が永らく続いていた。
嫁さんを彼に会わせるのが嫌なのではなく、嫁さんの前での僕で、彼に会いたくなかったのだ。
ただ嫁さんの前での自分と、彼の前での自分が、何処がどう違うのか僕自身にもよくわからなかったりする。
冷静に考えてみると、そんな事をする意味も効果もない様に思う。
昔から僕は自分の近辺の事を、人に隠す様な所があった。
自分でも霞みが、かかっている様にその理由ははっきりとしないのだが、結局、自信が持てなかったり、守っていたり、面倒くさかったりするのだと思う。
就職してから、特に思う様になったのだが、嘘をついたり、誤魔化したり、隠蔽したりすると、話はややこしくなるし、人に物事が全く伝わらなくなる。
ある時、仕事の休憩中に同僚の人と他愛もない話しをしている最中に、僕は何かを隠そうと適当な事を言っている自分に気が付いた。
しかもそれを無意識の中で、行っているのだから質が悪い。
意識の外でできる程、その行為が自分の中では自然な物となっていたのだ。
誰も自分が思ってる程に、僕なんかに興味はないだろうし、隠している本当の事を言っても、別に僕の印象なぞ、今更、変わりはしない。
いい年になって、そんな無意味な事を続けている自分に嫌気がさし、何だか馬鹿馬鹿しくなった。
それから僕は、できるだけ本当の事だけを言って、自分を晒け出そうと思う様にしている。
そう思ってからの方が、確実に何かが楽になった。
だから今夜も、彼と嫁さんを会わせ様と思ったのだ。
彼が焼いてくれたお好み焼きをアテに、嫁さんはいつも通りビールを旨そうに飲んでいた。
会話は盛り上がり、他愛もない話しは様々な所を経由しながら、止む事なく続いた。
酒で心地好く、惚けた気分の中で僕も何事かを話していた。
不意に彼が、僕の書いた文章が面白いと言ってくれた。
普段、雑な僕がまさか文章等を書いているとは思っていなかったらしく、嫁さんは何度か瞬きを繰り返し、驚いている様子だった。
「ブログをもっと更新して、小説も書きなはれ!」
彼が、なかなかの熱量でそう言ってくれた事が何だか酷く嬉しかった。
曖昧な返事をし、秘かに喜んでいた僕の思考に酩酊気味の嫁さんが強引に割り込んできた。
「あたしが文学部やって知ってるやんな!太宰の人間失格で卒論書いて、優やったんやで!あたしが納得する様な物を書いてほしいもんやわ」
勿論、嫁さんが文学部だった事は知っているし、太宰作品が好きな事も僕は承知していた。
告白すると僕が、酔った時によく太宰の悪口を言うのも嫁さんが太宰ファンだからなのだ。
零戦乗りである坂井三郎や岩本徹三の戦記物ばかりを読んでいた十代の頃に、僕はたまたま太宰の“人間失格”を読んだ。
真の日本男児の生き様に傾倒していた十代の僕には、“人間失格”は酷く格好悪い物に映った。
しかも太宰は、坂井三郎や岩本徹三と同じ時代を生きている。
生きたくても生きられなかった余多の人がいる中で、戦後、女性と共に入水自殺してしまった太宰を僕は快く思っていなかった。
ただそれも「うわぁ、しょーもないなぁ」と思っていた程度に過ぎない。
しかし結婚する前から、本の話題になると太宰の事ばかり話す嫁さんを見るにつけ、何故か太宰への嫌悪感が増していった。
嫁さんに恋心を抱いていた時期には「僕も人間失格、高校の時に読みましたよ!」と言う鳥肌が立つような科白までを、自分は吐いた。
付き合って初めて出掛けた時も、嫁さんは太宰の話しをした。
まさか神戸まで夜景を見に行く最中に、「太宰、戦争行ってへんやんけ!ほんで女と自殺するなんて最悪やんけ!何人、あの戦争で生きたいと願った人が死んだと思っとんじゃい!」と右側の翼に全体重を浴びせ掛ける様な事を言うわけにはいかない。
せいぜい遠くを見ながら「太宰なぁ…」と呟くのが精一杯であった。
そんな事を何度か繰り返すうちに、僕は酔うと太宰の悪口を言う様になっていた。
嫁さんの前で口にできない事を、酒席でぶちまける。
「誰の悪口言うとんねん!」と共に飲んでいる仲間はよく笑ってくれた。
そうしたら僕はまた調子に乗って、太宰への悪口を捲し立てると言う、冷静に考えると下劣極まりない事を今も繰り返している。
新しく焼き上がったお好み焼きを見ながら、僕の脳髄の中に“何でもいいからもっと書こう”と言う思いが沸き上がっていた。
別に親友が薦めてくれたからでもなく、ましてや嫁さんに挑発されたからでもない。
自分が書きたいから書く。
“書かねば“と言う本心があるから、彼や嫁さんの言葉にこうやって僕は、過剰に反応しているのだ。
何か事を成さんとする時に、「誰々がやれと言ったから…」と言う事程、愚かな事はない。
単調な筈の毎日を生きていても、心身が揺すられる様な事は多々ある。
それこそ書き残したいなと思う事は、毎日の様にあったりするのだ。
しかし仕事の疲れから、なかなか書く気になれなかったり、家で本を読んだり、テレビを見たり、嫁さんの目を盗んでこっそりとエロ動画を鑑賞したりしていると、日々はあっと言う間に過ぎ去ってゆく。
気がつくと書きたいと思っていた事の鮮度は失われ、もう今更、書けなくなっていて何処かへ置き去りにしてしまう。
そんな事の連続だ。
これからは今より少しでも多く、何かを書き残したいし、中断している小説も再開したいと思う。
エロ動画の誘惑になんか負けている場合ではない。
小説は書き上げたら、ちゃんと審査してもらえる所に提出したいと思う。
僕はもういいオッサンだが、まだまだ自分のあらゆる可能性を試したいと思っている。
仕事中に最も気分が高揚するのも、自分でも思っても見なかった所に新たな可能性を見出せた時だ。
社会に出てから、“あぁうまくいかないな“と思う時も多々あるのだが、たまに“おお!こんな事が自分はできたんや!”とか“こう言う時間も自分は楽しいと思えるんや!”と発見できる瞬間も確かにあったりする。
僕は、まだまだ自分の様々な可能性を試しまくりたい。
一つや二つの可能性が潰れたからと言って悲観等したくない。
死ぬ直前まで、様々な事柄を試行していたいと思う。
深夜になり、親友が我が家から帰っていった。
まだ薄くお好み焼きの匂いが漂うリビングに、嫁さんが五本目のビールの栓を開ける音が響いた。