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あしたの鉄人

戦々恐々の日々

相方 2

 

 我が家のリビングは来客があると、必ず濃いソースの匂いが立ち込める。

 

 それは最近の僕が、訪問者と酒を酌み交わす折りに、アテとしてお好み焼きを好んで選んでいる所為だ。

 

 長方形の鉄板の上を、均等に半分に分け、二枚のお好み焼きを焙る。

 

 どろどろと粘り付く、水で溶いた小麦粉を鉄板に流し込む刹那、自分と相方のお好み焼きが同じ大きさになる様、僕はそれなりに気を配った。

 

 鉄板を挟んで相方と向かい合う度に、僕は自分の傲慢と無神経を自覚した数年前の、ある出来事を思い出す。

 

 当時、僕と相方がアルバイトをしていた運送会社の傍に焼肉店があった。

 

 その焼肉店は千円だけ払うと、一時間十五分以内なら、幾らでも肉を食べる事ができると言う、低価格化時代の最先端を駆け抜けて行く様な体系を導入していた。

 

 当然、いつ訪れても店外には、客の列が伸びている。

 

 空腹を抱え、肉の焼ける匂いや、鼓膜を素通りし胃袋に直接、囁き掻けてくる“じゅうじゅう“と鳴く音に悩まされながら、走馬燈の中に恐らく登場しないであろう無為な時間を店の外で過ごす。

 

 神経がささくれ立った頃、漸くテーブルまで辿り着いて、長年に及ぶ困窮の所為で、すっかり味覚を見失ってしまった口内に、急いで肉を放り込む。

 

 ただ肉を気が済むまで食べ続けられると言う事実は、僕達の何かを満たしてはくれた。

 

 一応に満足し煙草に火を点けて、さてこれから相方と次のネタの話や、気になる子の話でもしようかな等と思っていると、店員の年配女性がテーブルの周囲を不自然にうろつき出し、何だか見ていられない仕草で、下手な圧をかけてくる。

 

 いた堪れなくなり店を出て、油塗れになった己の臓器に苦しめられながら、相方とあれこれと話をして家まで自転車を漕ぐ。

 

 その道中、僕は“金があるくせに安い肉ばかり食う奴の気がしれん!”とか“あのババア!”等とやたらと吠えた。

 

 三十代に突入し、まだ学生の頃に出入りしていた様な店で、自分が胃袋や心を満たさねばならないと言う現実に、僕は酷く蝕まれていた。

 

 そんな時も、相方は決して僕に同調する事なく、達観したかの様な顔で前だけを見て、黙々とペダルを漕ぎ続けていた。

 

 懲りずにその焼肉店に僕達は通い、肉を頬張っている最中にある事に気がついた。

 

 相方が、何故か金網の先端部の僅かな空間だけを使って、肉を焼いているのだ。

 

 ちまちまと動く相方の箸先が、僕の膨張した神経をやけに刺激する。

 

「せこい食い方すんなや…」といつもの如く悪態をつこうとして、はっとした。

 

 金網上の大方の空間が、僕が置いたハラミ群によって占められていたのだ。

 

 そのハラミの群は、暗黙の境界線を我物顔で越え、末端に微かに残された相方の領土ですら、今にも奪い去らんとしている。

 

 僕はハラミを口に放り込む事に没頭し過ぎていて、自分が侵略行為に手を染めている事に気付いていなかった。

 

 何とも卑しい限りである。

 

 急に恥ずかしくなって、「すまん…」と言う言葉が口を衝く。

 

「やっと気付いたか…」

 

 そう言って相方は、何だか寂しそうに笑った。

 

 我相方とは、そう言う男なのだ。

 

 自宅のソファーで横になり、うっかりと幻の国境を越えてしまった瞬間、鋭い蹴りを“びゅんびゅん”と叩き込んでくる、うちの嫁さんとは違うのである。

 

 取り留めのない事を思い出したり、相方と他愛もない話をしているうちに、どうやら鉄板の上のお好み焼きが、良い頃合いになったらしい。

 

 話を中断し、お好み焼きを切り分ける。

 

 もう粗方、一通りの思い出話にも触れた様な気がして、そろそろ本題に入ってゆくべき時間帯が来ている様な気がした。

 

「ほんで、これからどうする感じ?」──

 

 こうして急に相方と会う事になったのには、理由があった。

 

 先日、相方のブログを見ていると彼の生活に何らかの変化が起こりつつあるらしき事が書かれていた。

 

 最も相方のブログは暗号めいた単語が乱発されている為、乱数表を所持していない僕には、全く意味を捉え切れない事が多々ある代物だ。

 

 映画の感想が書かれた文章では、正式なタイトルすら記載されておらず、ストーリーも感想も暗号に阻まれて、やっぱりよくわからない。

 

 だから目を通すと、どうやら相方が何処かで、誰かと何かの映画を観て、何事かに感謝したらしいと言う輪郭が呆やけた事しか伝わって来ず、読後にもやもやとした物だけが残ったりする。

 

 一度、誰か暗号を紐解く解読表を所持していないか、仲間内で集まった時に聞いてみた事がある。

 

 しかし皆、「うーん…意味わからんすね…」と表情を曇らせるばかりだった。

 

 僕達意外の誰かに向けて、相方はブログを書いているのだろうか。

 

 しかし逆に、伏せたり、隠したりすればする程、鮮明に浮かび上がってくる事柄があり、それが人に伝わってゆくのが文章と言う物の本質だったりもする。

 

 読後に独特の消化不良を抱えながらも、僕は相方のブログを読み続けた。

 

 ほんの一時であれ、同じ夢を追ったのだ。

 

 そんな男の動静を、気に掛けないでいる事の方が難しい。

 

 先日、久方ぶりに更新された相方のブログを見て、すぐに僕は彼に電話を入れた。

 

バイト、やめたん?」と聞くと、相方が「なんで知ってるん?」と聞き返してきた。

 

 相方のブログが更新される度に、目を通している事を本人に伝えるのは、何だか気恥ずかしい物がある。

 

 適当に誤魔化そうとも思ったが、そんな上辺だけの事を言う間柄でもない。

 

 それに相方が、いよいよ就職するとなれば、どんな形であれ、自分のできる範疇で協力を惜しまないと言う気持ちで僕はいるのだ。

 

 なかなか本心を明かす事のない相方に、僕の方から嘘を言う訳にはいかない。

 

「ブログ見たんや」

 

 そう僕が言うと、自分のブログが読まれていると思っていなかった所為か、相方は何も答えなかった。

 

 「お好み焼き旨いな」と言い合いながら、僕は相方に今後の身の振り方について尋ねてみた。

 

 相方は、取り合えず知人に仕事を紹介してもらうつもりだと答えた。

 

 夢を諦めた以上、一度は企業や店舗に正式な形で所属し、ある程度の社会経験を積んでゆく必要があると僕は思っているので、それを相方に伝えてみた。

 

 しかしそれは旨く躱された。

 

 相方のこれからの人生を左右する事なので、僕も自分の考えだけを独善的にぶつける訳にはいかない。

 

 先日、うちの会社のトップクラスにいる方と酒席を共にする機会に恵まれた。

 

 僕はその席で相方の事を、その方に相談してみた。

 

 何百人と言う人間を纏め上げ、その家族の生活までを気に掛けねばならないと言うポジションに何年も就いておられる方だ。

 

 仕事で結果を残すだけではなく、確実な人間性や道徳観を、常に求められている人である。

 

「うーん…。難しいかも知れんが、何かの実用的な資格をとって、就職を目指すしかないんやないか。今からでは、遅いかも知れんが… それは本人次第やからな」

 

 その方にも、そう言っていただいた。

 

 勿論、僕自身もその直後に「人の心配していられる立場ちゃうやろがい!」と発破を掛けられ、「ひぃぃぃ!そうでした!」と大仰にあたふたして笑かし、なんとかその場を切り抜けたのだった。

 

 兎に角、ちゃんと社会性のある人の意見と言う物を相方にぶつけてみた。

 

 それも相方は、即座に「無理だ」と言う。

 

 何故か聞いてみると、様々な負債があり、それは難しいと言う返答が返ってきた。

 

 そこで僕は、痛恨の思いに駆られた。

 

 コンビを組んでいる時代から、相方に負債がある事は薄々、気付いてはいた。

 

 後輩から、そんな噂が入ってくる事も多々あった。

 

 しかし恥ずかしい話、僕達のコンビはアルバイトをする時間が圧迫される程、芸の仕事量があった訳ではない。

 

 以前、組んでいたコンビでは、舞台に多く立たせて貰っていたため、なかなかアルバイトに精を出しているわけにもいかなくなり、その時期には僕もカードローンに手を出した。

 

 その借金も、相方とコンビを組み直し、芸の仕事が減少した頃から、再びアルバイトに励み出し、すぐに返済する事ができていた。

 

 そんな状況だったので当時、相方の負債の事は軽く考えてしまっていたのだ。

 

 あの時に強く意見していたら、何かが変わっていたのかもしれない。

 

 そう思うと、何だかやり切れない気持ちになった。

 

 だが不思議な事に、厳しい状況に置かれている筈の相方からは、何の切迫感も伝わってこない。

 

 負債や問題を抱えて、何とかそれを必死で跳ね返そうとしている人からは、特有の切迫した気流が漂ってくる。

 

 そしてそう言う人程、暫くして会ってみると難題を何とか切り抜けていたりするものだ。

 

 しかし目の前にいる相方は、何年にも及ぶ自分の状況に慣れてしまったのか、負債の話をしながら涼しい顔で電子煙草をふかしている。

 

「何処にそんな金があんねん!」と思わずツッコミそうになるが、そう言う事態ではない。

 

 これが僕と相方の立場が逆なら、いくらでも成立するし、仲間達も「本当にあの人、どうしようもねぇな」と笑ってくれたに違いないのだ。

 

 しかし普段はいい加減に振る舞っている僕の方が、堅実な選択を好み、皆が口を揃えて真面目だと評す、相方の方が後先を考えずに、一時の感情に心身を蹂躙されたりする。

 

 それが我々コンビの何ともややこしく笑いに変わり難い所なのだ。

 

 急に僕の方が焦燥し、自分では相方が今、抱えている問題を好転させる事等できないと言う気がしてきた。

 

 僕は相方に、共通の知人に相談する事をすすめた。

 

 その知人には、僕達は若い頃から世話になっている。

 

 何より知人は、僕や相方が誤った方角に舵を切ろうとした時に、僕達を全力で叱ってくれる人だった。

 

 会社の先輩や上司や同僚、何なら嫁さんでもいい。

 

 人には何歳になろうが、どんな立場になろうが、身近に自分を厳しく律してくれる人間が必要不可欠だと僕は思っている。 

 

 僕等と言う甘えや自己中心性の顕著な者は、そう言う厳しい人達のお蔭で何とか日々を前に進めていけている様なもんである。

 

 自分の力により今まで獲得できた物等、たかだか知れているし、もしかしたら皆無なのかも知れないと思う事すらある。

 

 だから時代に抗ってでも、結婚に否定的な友人達にその必要性を説いたりするのだ。

 

 “思い上がるな。ずっと一人でいて、偏ったり、硬直せずにいられる程、自分の平衝感覚は優れているのか”と。

 

 “一生続いてゆくかもしれない孤独に耐え抜ける程、強靭な精神を有していると思っているのか”と。

 

 特別な力や突き抜けた才能を持っていないからこそ、人の意見を数多く聞ける機会には恵まれる。

 

 こんな貴重な機会を生かさない手はない。

 

 しかし相方は、知人へ相談する提案も受け入れなかった。

 

 その理由も聞いてみたが、やっぱり判然としない。

 

 数年前に、耳の痛いその人の話こそ聞くべきだとよく言っていたのは相方自身である。

 

 何時からこんなに…。

 

 僕は何も、自分の意見が正しいとも、受け入れてほしいとも微塵も思っていない。

 

 ただ一つの見解を吟味したり、時には受け入れたりする土壌が、その人の中にあるのかどうなのかが重要だとは思っている。

 

 自分も年齢を重ね当然、縁がある近辺の人達も皆、年を重ねてゆく。

 

 仕事や結婚と言った悩みも年々、深刻度が増してゆく様に思われる。

 

 例外等あろう筈もなく、自分もその渦中にいる。

 

 いつ会っても、事態が好転してゆかない人達に共通している様に思えるのは、相談されたり、話題に持ち出したりするから皆、意見してみるものの、当人には全く響く事がないと言う点だと思う。

 

 自分の狭い範疇で既に結論が弾き出されており、色んな解決策が提示されても、己が導き出した結論や思考に固執し、枠が広まる事を何故か極端に拒絶する。

 

 柔軟に色んな道程を目の前に広げてみて、眺めてみるだけでも景色は随分と変わっていったりするもんだと思うのだが。

 

 若い人はいいと思った物は、発した相手が誰であろうと感ずる物が少しでもあれば、素早く反応を示す。

 

 仕事中に若い人を見ていて、僕はその柔軟性に何度も驚かされたりした。

 

 それに大前提として、どんなに厳しい状況に置かれていても、迸る様な動力感が全身から溢れ出ているヤツには誰も何も言わない。

 

“あぁ、こいつは今は厳しいかも知らんけど、自分で何とかしよるんやろな”と思うだけだ。

 

 もう近辺から様々な声が聞こえ始めた時点で、己の動力炉は正常に機能していない事が多い。

 

 なぜなら静止してしまいそうな人間に、何も手を差し伸べない程、周囲の人と言うのは冷たくはないからだ。

 

 何処かで精神をオーバーホールする事なく、新たな航海に向かおうとする相方の行く末が明るいものであってほしいと願う。

 

 本音を言うと、僕は別に悪路だろうが逆風だろうが、苦にせず、泥臭く進んでゆく相方がもう一度、見たいだけなのかもしれない。

 

 客席の空気が重く、回りの芸人が尻込みする中、逆に燃え上がり、舞台で無茶苦茶に暴れ出す。

 

 僕がいつも傍で見ていた相方は、そんな男だった。

 

 あの焼け焦げる寸前まで高速で回転し、自身と回りの人間までも巻き込んでいた野太い彼の動力源。

 

 そんな彼と再会したいだけなのだ。

 

 お好み焼きを何枚か平らげて、窓の外が暗くなっても相方と話したい事はいくらでもあった。

 

「そろそろ帰るわ」

 

 そう言って、我が家を後にする相方の足取りは、舞台に上がってゆく時と何も変わっておらず、軽やかなままだった──