あしたの鉄人

戦々恐々の日々

揺れる老木 1


 沢木耕太郎のことを初めて知ったのは、確かまだ高校生の頃だったと思う。

 当時、好んで読んでいた作家の本の“あとがき“に、不意にその名が出てきたのだ。

 その“あとがき“の中で、僕が好きな作家は沢木耕太郎への熱烈な思いを何の気後れもなく語っていた。

 同業者への正直な気持ちを、読者に向けて熱く語る。

 そんな親しみやすさが、その作家の魅力でもあった。

 名前はそのときに覚えたものの、なかなか沢木耕太郎が書いたものを読む機会には恵まれなかった。

 人との出会いと同じく、本との邂逅にも縁というものがあり、ベストなタイミングで手に取ることが何よりも大切だと僕は、今も思っている。

 高校を卒業した僕は、大学の産業社会学部へと進学することとなった。

 大学では、高校の頃に好きだった日本史や政経といった学問を、思う存分深めてゆくことができると僕は期待し、そして気負ってもいた。

 しかしそんな青臭い一時の情動は、いざ大学生活が始まるとすぐに冷え込んだ。

 社会学部の支柱であるはずの“社会学概論”という講義が、絶望的につまらないものだったからだ。

 しかも“社会学概論”の講義を担当していた教授は毎回、出席カードの色を変えて配るような小狡い男だった。

 その男はカードの色を変えて配ることで、“代返”と呼ばれる学生たちの不正行為を牽制したつもりでいたようだ。

 我大学の学生たちが持つ士気は、そこまで低いものではなく、内容が濃く面白い講義の出席率はとても高いものだった。

 講義に学生たちを集めることが可能な講師は、確固たる自信と信念のもとに、出席すら取ろうとしなかった。

 そんな格好良い大人と同じ土俵に立ちながら、自身の退屈な講義を改善しようともせず、学生たちは不正行為を働くものだと決めつけ、姑息な策を弄す。

 自分が行っている行為が、いかに卑しく、それによって学生たちの心がどれほど、離れてゆくものなのかを考えようともしない。

 大学の教授ともあろう人物が、そんな精神性しか持ち得ていないことに、若い僕は酷く苛立ち、“社会学概論”と言う講義自体を嫌悪の対象とした。

 一方で社会学部のもう一つの柱とされる“社会調査論”という講義には、とても興味を惹かれるものがあった。

 恐らく三十代であろう女性講師が、その“社会調査論”の担当だった。

「この講義で学んだことを、あなたたちの人生や実社会で必ず役に立ててほしい!」

 そう言う己が持つ願望を、講義の最中に過剰な熱量を込めて、その女性講師は僕たち学生に頻繁に伝えた。

 大学には講話が巧い講師は何人かいたが、この女性講師のように直接、エネルギーをぶつけてくるタイプは珍しかった。

 その社会調査論では、フィールドワークを主に学んだ。

 フィールドワークとは調査対象である地域や団体に接触し、それに関わる人たちに聞き取り調査を行ったり、アンケートをとったりすることで、できる限り真実や実態を浮き彫りにする、基礎的な社会調査の手法である。

 その講義の中で、僕は初めてルポルタージュ、報告文学と言われるものを読む機会を得た。

 それまで純文学や推理、娯楽、SF等の小説や戦記物ばかり読んでいた僕は、このルポルタージュが持つ生々しい臨場感にすぐにのめり込んだ。

 当時の精神病医療の実態を調査するために、筆者自身が酒浸りとなり、アルコール中毒患者になりすまして、精神病院に潜入して書いた“ルポ精神病棟”や、

 大手メーカーの自動車工場で実際に数ヵ月間、ライン労働に従事した若者が書いた“自動車絶望工場”などのルポルタージュを僕は貪るように次々と読んだ。

 学食横の生協には、小さな書籍売り場が併設されていて、そこでは主に講義で紹介された書籍が売られていた。

 “社会調査論”の講義中に女性講師が、「このルポルタージュを読んでおくように!」と言うと僕は講義後、この小さな書籍売り場に直行し、言われた本をすぐさま購入した。

 単純にルポルタージュという今まで読んだことのなかった新しい分野の本に、はまり込んでしまっただけのことなのだが、女性講師には随分、熱心な学生だと勘違いされてしまったようだ。

 当時、僕は髪の毛を下品なくらいに赤く染めていて、そんなヤツが勉強熱心なはずがない。

 現に全く興味が沸かない語学系の成績は惨憺たるものだったし、よく講義をさぼって、友人達と一緒に隣の女子短期大学の前を意味もなく往復することに興じたりしていた。

 僕にとっては、講義で薦められたルポルタージュは“ジョジョの奇妙な冒険”と同じく、単純に面白いと感じられるものだっただけだ。

 生協には、なぜか“週刊プロレス”も売られていて、頻繁にお堅い本と“週刊プロレス“を同時に購入していたため、友人達に「本当によくわからんヤツだなぁ」といじられたりした。

 金銭にはいつも困っていたが、うちの母親が寮母さんに書籍代だけは預けてくれていて、お堅い本を買って寮母さんに見せにゆくと、その分の代金だけは受け取ることができた。

 しかし金を受け取る際に初老の寮母さんが毎回、「それいやらしい本と違うやろねぇ。けけけ」などと何とも整え難いことを言ってくるので、面倒くさくて仕方がなかった。

 不意に講義中に女性講師が、沢木耕太郎の名を出したときには、なぜか僕はどきりとした。

 以前より名前は知っていたのだが、沢木耕太郎が優れたルポルタージュの書き手だということを、僕はこのときに初めて知った。

 僕は勝手に沢木耕太郎は、小説家なのだろうと思い込んでいたのだ。

 そのときの講義はフィールドワークで得た調査結果を、どうやって人に伝えてゆくかと言うような内容だったと思う。

 いつものように女性講師は、大教室に漂う気だるい空気を余りある熱量で気化させ、壇上を所狭しと動き回っている。

「せっかく苦労して、手にした調査結果も人に読んでもらえなければ何の意味もないのです! 調査結果を、どうしたら人に読んでもらえるのか? ただアンケートの結果やインタビューの内容を書き連ねただけのものなんて誰も最後まで読みはしません! 読み手の興味を最後まで、どうやって持続させるのか? それをあなた達の若く瑞々しい感性で考えて欲しい! 」

 女性講師が、もう何度も聞いたことのある言葉を口走っている。

 何度も繰り返し語っているであろう話にいつもと変わらぬ心を込める。

 なかなか誰にでもできることではないし、この女性講師が僕達、学生と手を抜かずに向き合おうとしていることが、ひしひしと伝わってきた。

 僕は今でもそうなのだが、こう言う燃費の悪い人物に滅法、脆い。

 いつもと同じ、慣れた何でもない道にありったけの燃料を後先も考えずに注ぎ込む。

 決して器用などではなく、時には強く頭を打ち付けることもあるだろう。

 だがそこには、何にも代え難い信頼でき得るものがあると思えてならないのだ。

「“象がそらを飛んでいる“この情報を得たとしたら、あなた達はどんなものを想像しますか?」

 女性講師の言葉に触発され、僕は頭の中に何事かの想像を働かせようとした。

 ふわふわと学舎の上空に浮かぶ珍妙な象が、長野の切り立った山景を背に頼り無く風に揺られてゆく。

「あなた達の頭の中を飛んでいる象を、信じることはできますか? またそれを人が信じると思いますか?」

 女性講師の意図が理解できず、大教室には不可解な空気が漂う。

 しかしこの空気感は、つまらない講義のときに場を支配している散漫なものとは、質が違っていた。

 社会学部に籍を置き、卒業を目指すのであれば、ルポルタージュを書くと言う行為を避けて通ることはできない。

 そう言った事情が、学生達の集中力を高めている側面はある。

 しかしそれ以上に皆、女性講師の講話自体に引き込まれているようだった。

「“象が空を飛んでいる“こんな荒唐無稽なものを誰も信じないでしょう。 しかし“四千二百五十七頭の象が空を飛んでいる“と言えば信じてくれるかもしれない。 調査で得た正確な数値を記載することで、報告文の信憑性は増すのです!」

 見事な話の落とし処に僕たち学生は納得し、ルポルタージュの基本をノートに書き記そうと一斉にペンを走らせた。

「先程の空飛ぶ象の話は、沢木耕太郎という人が書いていたことです」

 沢木耕太郎の名が出た瞬間、僕はペンを走らせるのを止め、軽く息を吸い込んだ。

 気になっていた作家の名が、まさか社会調査論の講義中に出てくるとは思いもしなかったからだ。

 正確に言うと“空飛ぶ象“の話は、沢木耕太郎のものではない。

 ガルシア・マルケスと言う作家がインタビューの中で語ったものである。

 だが沢木耕太郎が、この“空飛ぶ象”の話を何度か著作の中に登場させていたことから、女性講師はそれが本人のものだと勘違いしたようだ。

 この時期から沢木耕太郎の名は度々、講義中に出てくるようになった。

 生協の書籍売り場にある平棚の上に、“深夜特急”が積まれていることに気が付いたのもこの頃だ。

 “深夜特急”は文庫化されて間がない時期だった所為か、平棚にうず高く積み上げられていた。

 好きな作家が語り、講義にも名前が上がり始めた人物の本を素通りできるわけがない。

 しかも“深夜特急”と言うタイトルは、若い感性や冒険心を根刮ぎ擽る、強い刺激を持っている。

 言語の大海原から二つの鋭い言葉を掬い上げ、繋ぎ合わせることで、より研ぎ澄まされた響きを生み出す。

 こんな高度なセンスを、タイトルから垣間見せる人物が綴った本なのだ。

 読んで何も感じられないなどと言うことが、発生する可能性は極めて低いように思えた。

 それでも“深夜特急”を、なかなか読み始めることに踏み切れなかったのは、“深夜特急”が一巻から六巻まであるシリーズものだったからである。

 六巻まで全て購入しようと思えば当然、金がかかるし、読むとなればそれなりに時間も費やさねばならない。

 何だかんだと迷っているうちに夏が近づき、社会調査論の前期課題に取り組む時期がやってきた。

 前期課題のテーマは女性講師が指定したルポルタージュの中から、数冊を選んで読み、リポートを書いて提出することだった。

 その指定されたルポルタージュの中に、沢木耕太郎の“一瞬の夏”が含まれていた。

 “一瞬の夏“──

 このタイトルは、痺れるほどにただ眩しい。

 “深夜特急”も“一瞬の夏”も、ぱっと思いつきで出てくるような言葉ではなさそうである。

 人が手に取ってくれるならと言う願望と、自らの作品に対する強いこだわりとが交錯し、時間を費やして確りと悩み考え抜いた末に、沢木耕太郎がタイトルを選定しているらしいことが窺えた。

 “一瞬の夏”は、ルポルタージュと言うよりもスポーツノンフィクションに分類された方が自然なように思う。

 女性講師が前期課題用に選定したルポルタージュの中には、他にも三菱銀行人質事件を扱った“破滅”などが含まれていた。

 事件もののルポルタージュが広く支持されるようになったのは0年代以降であり、僕が大学で社会調査を学んでいた頃は数も少なかった。

 幅広い分野のルポルタージュが前期課題に選ばれていたことから、女性講師がルポルタージュの面白さや奥深さを、学生達になんとしてでも伝えたいと願っていることが読みとれた。

 これはずっと先になってから少しづつわかってくることなのだが、健全な大人と言うのは、自分が情熱を持って取り組んできたことを、若い世代にも好きになってもらおうと心血を注ぐということだ。

 決して自分自身へ若い世代の目を向けさせるのでなく、自分の歩んで極めてきた道筋や分野に、若者たちの興味が向くように促す。

 そういう年長者というのは、バランス感覚も優れているし、真っ当な年の重ねかたをしている。

 兎に角、僕は大学一回生の初夏に沢木耕太郎の“一瞬の夏”を読むこととなった。

 その邂逅は、まだ地固めが完了していなかった僕の未熟な自我を激しく揺さぶるほど大きなものだった。