あしたの鉄人

戦々恐々の日々

宇多田ヒカルと安部公房と太宰治によるジェットストリームアタック 1

 結婚式を挙げるために、長野へ向かうバスの道中で、僕は脇目もふらずにこのブログを書いていた。

 挙式直前の所為か、様々な感情が複雑に絡み合いながら去来し、それらはどうやら名神高速の途中で、自分が管理できる範疇を超えてしまった様だ。

 妙な緊張や、類のわからない期待めいた物が絶えず自我を揺すってくる。

 最近、僅かな時間さえあれば聴いている宇多田ヒカルの復活作で、それを紛らわせようとも思った。

 しかしその行為が更に心の襞を敏感にさせる様な気がして踏みとどまる。

 無性に煙草を吸いたくなったが、生憎このバスには、喫煙スペースが設けられていない。

 中々、良策が見つからず、何かに没頭する事で何とかこのうねりを散らそうと、溜まっているブログの編集作業に手をつける事にした。

 ブログは丁度、僕と相方が大阪プロレスで経験した事を綴っている最中で、書いていると当時の事が甦ってきて、少なからず高揚してくるものがあり、纏わりつく雑念を霞ませた。

 しかしその日を最後に、日々を書き残す時間が、はたりと取れなくなってしまったのだ。

 仕事の事で考えあぐねる状況があったり、相変わらず家庭を維持するための雑事に追われたりしているうちに、高速で後方に流れ飛んでゆく窓外の如く、一日が終わってゆく。

 ただそんな事はここ数年、慢性的に続いている事だ。

 何かを書く時間までもが、失われる事はない。

 では何に自分は、限りある時間を費やしたのか。

 様々な偶然が重なった結果、僕は宇多田ヒカル安部公房太宰治によるジェットストリームアタックを、しこたまくらい続ける破目に陥ったのだった───

「音楽をただのBGMにしたらあかんで!」

 その言葉は、疲労とアルコールによって惚けた僕の意識を不意に打った。

 この日、僕は勤務後に会社の宴会に出席し、深い疲労と酔いに喘ぎながら、何とか最終電車に乗り込んだ。

 座席に座り込み、うとうとしていると少し離れた所から騒がしい声がする。

 そちらの方に目をやると、社内で見憶えのある数人の人達が話をしていた。

 どうやら本日、他の部署でも宴会が催された様だ。

 その人の輪の中心に一際、声のでかい革ジャンを着た男が居た。

「やば…」

 そう思った僕はすぐに着ていたパーカーのフードを、頭からすっぽりと被り、全身の力を抜いて狸寝入りの態勢を整える。

 革ジャンを着ている男は部署は違うものの、会社での僕の先輩に当たる人であった。

 作業場が違うため、その方の仕事内容も詳しくは知らない。

 ただ顔を合わせると、先輩はよく声を掛けてくれて、仕事終わりの更衣室等で色んな話をさせてもらっていた。

 その先輩は傍から見ていてもバイタリティーに溢れた人で、会話の手数も多く、僕の職歴を知ってからは思いつくままにボケ倒して来る様になった。

 うちの相方ならそれを綺麗に捌いて、場の空気を盛り上げ、相手の気分も良くなるに違いない。

 しかし生憎、僕にはそんな技量もないため、何とか全力で突っ込んで、誠意だけは見せる様にしていた。

 その先輩はバンドを組んでいるらしく、仕事後の更衣室で全編、英語で綴られた歌詞を手に口ずさんでいる姿を度々、見かけた事があった。

 時間があり余っている学生の頃ならいざ知らず、正式な職を持ち、年を重ねた今でも音楽への情熱を失わずに保ち続ける。

 それはなかなか困難な事の様に、僕には思えた。

 先輩は現在でも、週末になるとミナミのライブハウス等でバンド活動を続けているらしかった。

「音楽は何を聞くの?」

 ある時、先輩が僕にそう尋ねてきた。

 会話に行き詰まった後に出てきた言葉でも、幾つかの質問の続きでもない。

 単純に僕が、どんな音楽を聴いているのか興味を持ってくれたんだなと言う感触があった。

 こんなに混じり気なく、自分が聴く音楽について尋ねられたのは何年振りだろうか。

 十代や二十代の中頃くらいまでは、そんな話題が中心に据えられていた様な気がする。

 今では見る影もないが、ラバーソールを履き、革パンと黒いジャケットに身を包み、財布からチェーンをじゃらじゃらとぶら下げて、オールスタンディングのライヴに足繁く通っていた時期が、僕にも長くあったのだ。

「ミッシェルとかブランキーは、昔よく聴いてましたよ」

 よく聴いていたなんて言う都合のいい範囲に、それが納まり切るわけがない。

 何しろあの頃の僕はネタ合わせとバイトの時以外、ずっとミッシェルの曲を流していた。

 まるで鼓膜が何かの中毒に侵されたかの様に、僕の聴覚は四六時中、“TMGE”を貪欲に求め続けた。

 “いつまで同じ歌ばっかり聴くんよ。あたしもう頭がどうにかなりそうやわ”

 当時、付き合っていた彼女は何度もそう言っていたが、構わず僕は飢えた鼓膜に“世界の終わり”や“アンジーモーテル”を与え続けた。

「やっぱり!夏にミッシェルのTシャツ着てんの見たもん!今だにあれ着てるヤツ中々、おらんよ!」

 ミッシェルと答えた僕に先輩は鋭く反応してくれ、暫く二人で“ギヤブルース”やら“ランブル”の話で盛り上がった。

 ただその後「他には、何聴くの?」と聞かれて、「石野卓球久石譲…それにアジカン宇多田ヒカルなんかが好きです」と僕が答えると先輩は「天才ばっかりやんか。自由やね…」とだけ言い、そちらの話を広げ様とはしなかった。

 恐らく先輩は、洋楽のバンドにも僕が興味があるとふんだのだと思う。

 しかし僕は海外の音楽には疎く、それよりも幅広く日本人アーティストの曲を聴く事を好んでいた。

 それからはその先輩と会う度に、“UAベンジーにもう一曲歌ってほしい”とか“ダグアウトは名盤である”と言う熱が籠った話をした。

 話の途中で先輩は、いつも僕を飲みに誘ってくれたが、その都度、僕は何やかんやと理由をつけて断ってしまっていた。

 どう言う訳かその先輩と、仕事終わりに出会す日はいつも、週の中頃だった。

 先輩が、どう言う仕事に従事しているのか詳しくはわからない。

 だがいつも人の輪の中心にいると言う事実が、先輩の腕を証明していた。

 男社会ではやはり仕事で結果を残さない限り、本当の意味で人等、そう簡単に付いては来ない。

 そんな先輩とは違い、僕は毎日の仕事に何とか随いてゆくのが精一杯と言う有り様である。

 当然、仕事終わりには、心身ともに疲弊し、意識の何処かが溶けているかの如く、明瞭でない事の方が多い。

 そんな状態で先輩と飲みに行っても、場が盛り上がるとは思えなかったし、次の日、二日酔いで業務に挑む訳にもいかない。

 ただそんな不慣れな仕事の事を理由にするのは躊躇われ、何だか煮え切らない事を言っては先輩の誘いを躱してしまっていた。

 それが最終電車の座席で、古典的な狸寝入りを僕が決行せねばならなくなった背景である。

 今、もし先輩に“これから飲みに行こうや!”と誘われたらもう断る訳にはいかない。

 こんな展開が待ち受けているとも知らず、僕は今夜の宴会で調子に乗って酒を煽り切ってしまっている。

 明日が休日だと言う安心から、何とか自力で家まで辿り着くだけの意識と理性の欠片だけを残し、後の全てをアルコールに奪い去られていた。

 しかし困った事に縺れる自我が、今にも狸寝入りを放棄しようとしている。

 車輪と線路との摩擦音が、酷く鬱陶しい。

 先程よりずっと、血液が各々、身勝手に体内を駆け巡ってゆく。

 不意に”あと一杯くらいやったらいけるんちゃうか!”と言う気になった。

 なぜ特にやましい事もしていないのに、自分は隠れる様な真似をしているのか。 

 僕は、深く被ったフードに手を掛けていた。

 そこから先は確かな事は、何一つ覚えていない。

 どう言う経緯でそうなったのか、よく覚えていないのだが、それからー時間後、何故か京橋にある馴染みのホルモン焼き屋で、僕は先輩達と共にハイボールを煽っていた。

 先輩達の宴会は会社の近所に最近、開店したインド料理屋で催されたらしかった。

 何処からか“やっぱりインド人が作ったカレーは本格的やったな”と話す声がする。

 それに反応して僕は「そこの店長、カレークックでしたか!?」といきなりかました。

 脳が痺れ濾過装置が機能しなくなり、何もかもが、垂れ流しになっている様だ。

 どう解釈しても全く面白くないし、酷いとしか言い様がない。

 そんな代物に先輩は、机を叩いて笑ってくれた。

 もうあらゆる物の質等、どうでも良く、この酒席が欲しているのは、何らかのきっかけだけの様だ。

「開店セールやっててな、カレークックの頭のカレーもえらい安くなっとったで!」

 先輩は一切、僕に突っ込もうとはせず、ひたすら乗っかってくるタイプらしかった。

 それから一旦、場が納まり、酒をちびちびと飲みながら、様々な話に興じていると、また先輩が店の壁に貼られている水着姿のイガワハルカの古いポスターに目をやり、

「え!?元阪神のイガワやん。今、グラビアやってるんや。大変やな」等と言い出す。

 余りに煩わしかったのとかなり酒が入っていた事もあり、僕は先輩の頭を小突いた。

 するとまた酒席が笑いに包まれた。

 何と言う締まりのない空気感だろうか。

 二次会と言う物の相場なんて大概、そんな物で“職場のガス抜き”や“親交を深める”と言った明確なテーマがある一次会とは違い、“何だかこのまま帰るのもあれやからもう一軒だけ行っとこか”くらいのあやふやな所から出発し、だらだらと終わってゆくもんである。

 酔いも疲労も眠気もピークだったが、二次会特有のこの緩さを、僕は気に入っていた。

 それから暫く、そんな潤けた時間が続き、気がつくと酒席の主題は音楽話になっていた。

 先程まで下らない事ばかり口にしていた先輩の目に、いつの間にやら熱い物が混じり始めている。

 何かのきっかけで、先輩と同じ職場の人が「もう何年もCDは買うてへんなぁ…」と言った。

 それは、そうだろうと思う。

 僕達は、もう世間から中年と呼ばれる年代に達していて、熱心に音楽を聴いていた年頃からは遠ざかり過ぎている。

 しかも好きな曲を獲得するための、時代の主流はダウンロードであり、CDは徐々に需要を失いつつあるのだ。

「俺は、今だにレコードばっかり買うてるで!」 

 何ともやり切れないと言った具合に先輩が口を挟む。

 そこから先輩は“好きな曲だけを、かい摘まんでダウンロードする何て事は、愚かで下品な行為としか言えず、音楽への冒涜である”と呂律が回らない中、延々と語った。

 その話が一段落つくと、先輩は僕に同意を求めてきた。

「僕も今はCD、あんま買ってないんすよ…」

 僕が、そう答えると「マジで…」と言って先輩はさみしそうな顔をした。

 最後に僕がCDを買ったのは、もう二年近く前だと思う。

 ミッシェルの解散を境に、僕の音楽への 熱は緩やかに冷めていった。

 それでも、今も同年代の人達に比べたら音楽を聴く方だとは思う。

 三ヶ月に一度は、気になった曲や好きなアーティストのアルバムを一気にウォークマンに移し込み、それをスピーカーに繋げて休日は一日中、聴いている。

 しかしそれは、ミッシェルを聴いていた時の貪る様に前のめりで、スピーカーに張り付いていた頃と比べると、明らかに真剣さに欠けた。

 その時の気分に合わせて、歌詞の解釈で悩む事も考える事もせず、遠くで鳴っているそれを、ただ鼓膜に通過させているだけにすぎない。 

 ミッシェルが解散した時に味わった、激しい虚無感は暫く、僕を音楽から遠ざけた。

 “ギアブルース”で湿り、“カサノバスネイク”で渇き、“ロデオタンデムビートスペクター”で融合したミッシェルは、アルバムをリリースする度に、ある階段を確実に掛け上ってゆき、日本屈指のバンドとして広く知られる様になった。

 戦後、幾万にも及ぶバンドに削り倒され、残滓しか漂っていない音楽界に“打ち込み”なしの、生演奏と絆だけで挑みかかり、“音“に革命を起こす事に成功する。

 ライヴに拘り、不可能と言われたアリーナでの数万人規模のオールスタンディングライヴを決行し、この国に“踊り、暴れ狂い、音を浴びる”と言う形態を定着させた。

 そして僕が三十代に突入する直前、“サブリナヘブン”、“サブリナノーヘブン”と言うアルバムを立て続けにリリースする。

 この二枚のアルバムは、ミッシェルと言う一つの塊が、繰り返し挑戦してきた全ての事柄を結実させ、ある高みに到達した事実をリスナーの鼓膜と精神に告げるものだった。

“遂に到達してしまった…”

 “サブリナ”を聴いた多くのヘビーリスナーは、そう感じたのではないか。

 到達した以上、次はその高みからどう下るのか、それとも新たな到達点を探るのかと言う、以前とは側面が異なる闘争が、これから始まってゆくのだと思っていた。

 しかしミッシェルは、分岐点を迎える度に「俺達はストーンズにはならない」と公言し続けてきたバンドである。

 そう言う価値観を共有する、惑星群の様な一塊が次に向かう行先は、果たして何処なのか。

 決して、下ったり、堕ちたりだけはしてほしくない。

 しかしでは、どうするのか…。

 相変わらず“サブリナ”を、鼓膜とその先にある自我に刻み込む様な日々を、送っていた僕は、ある日、ミッシェルの解散を唐突に知った。

 解散の理由は一切、公表されなかった。

 しかしラストツアーのタイトルには、ミッシェルが“燃え尽きた”と受け取れる言葉が、さらりと使われていた。

 ある頂に到達し、その高度を維持したまま、美しく散る。

 人や事象が、まさに燃え尽きようとするその瞬間に遭遇できるなんて事は、一生のうちにそう何度もある事ではない。

 なかなか人は、そんな格好良くは生きられず、ある頂きに立ったまま、散華を選び取るなんて事は不可能に近い様に思える。

 “あしたのジョー”が、世代や時代を超えて、今も尚、多くの人に支持される理由は、燃え尽きる事を強く望むジョーが長期間に渡り、悶え足掻く過程を何とか乗り越えて、ラストシーンで見事に完全燃焼を成し遂げるからだと思う。

 そのジョーですら、“燃え尽きる”までの道程でぼろぼろになっている。

 しかしミッシェルは、解散を決定した時点で、疲弊し磨り減ってはいない。

 屈指のロックバンドでありながら、デビュー前から、クスリや退廃を嫌悪し、ステージに立つ時は、常にスーツを纏ってきた彼らは、硬質な美学を貫き通し、下りる事も、ぼろぼろになる事も拒否し解散を選んだ様だった。

 欠かさずライヴに足を運んでいた僕は運良く、ラストツアーの最前列中央に位置するブロックのチケットを手に入れる事に成功した。

 どんな心持ちで、その日を迎えるべきかと考えあぐねていたら、あっさりとラストツアー当日に仕事が入ってしまい、ミッシェルの最後を見届ける事は叶わなくなってしまった。

 この頃、三十代を目前にして急激に仕事が増加し、ひたすら舞台に向かう日々が始まりつつあった。

 何とかいつかは燃え尽きたいと、僕は僕で足掻いていたのだ。

 最後にミッシェルは、幕張で大規模なオールスタンディングライヴを決行し、その幕を下ろした。

 僕はそれを、狭い部屋の紫煙で霞んだブラウン管越しに観た。

 余りにミッシェルの解散が絵になり過ぎていた所為か、僕はミッシェルの次に鼓膜を委ねるアーティストを見つける気にはなれなかった。

 多くのTMGEリスナーは、その後、チバが新たに組んだバンドに旨く移行していった様だ。

 チバが唄う曲は、今も恐ろしく格好良い。

 しかしその独特の唱方の向こうに、ばきばきと唸るウエノのベースや、ざかざかと刻まれるエッジの利いたアベのギターは鳴っておらず、

 内臓に響くキューちゃんのドラムだけが、あの頃のままそこにあると言う事実に、僕は酷く感傷的な気分になったりする。

 ミッシェルの解散後、僕は音楽とかつてと同じ熱量では向き合えなくなった。

 その結果、ここ数年は好きなアーティストのCDを懐に余裕があって尚且つ、気が向いた時にだけ購入し、後はダウンロードで済ませると言うスタンスに落ち着いていた。

「音楽を、ただのBGMにしたらあかんでぇぇぇぇぇ!」

 深夜のホルモン焼き屋で僕達、目掛けて先輩が雄叫んだ。

 その叫びは緩過ぎる雰囲気を霧散させ、呆やけ切った僕の心を強く打った。

 酒席に居た他の人達は笑っていたが、僕は痺れていた。

 だがそれでも、もう二度とあの頃の様な姿勢で音楽を聴く事はないだろうなとも思った。

 それから数ヵ月が経ち、もう先輩が叫んだ夜の事等、忘れてしまっていた。

 秋にさしかかる頃、宇多田ヒカルが数年に及んだ“人間活動”とやらに区切りを着けて、CDをリリースした。

 迷う理由等、何処にもなく、僕はそれを直ぐに買う事に決めた。

 宇多田ヒカルのCDを購入した天六からの帰り道、久し振りに気分が高揚し、薄くなり始めた空を眺めつつ、自転車を漕ぐ足に自然と力が込もった。

 橋を渡る時に、吹きつけてきた秋の風が心地好かった。      

     

 

  

  

 

  

   

   

 

     

 

 

   

 

   

 

  

   

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

  

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

相方 2

 

 我が家のリビングは来客があると、必ず濃いソースの匂いが立ち込める。

 

 それは最近の僕が、訪問者と酒を酌み交わす折りに、アテとしてお好み焼きを好んで選んでいる所為だ。

 

 長方形の鉄板の上を、均等に半分に分け、二枚のお好み焼きを焙る。

 

 どろどろと粘り付く、水で溶いた小麦粉を鉄板に流し込む刹那、自分と相方のお好み焼きが同じ大きさになる様、僕はそれなりに気を配った。

 

 鉄板を挟んで相方と向かい合う度に、僕は自分の傲慢と無神経を自覚した数年前の、ある出来事を思い出す。

 

 当時、僕と相方がアルバイトをしていた運送会社の傍に焼肉店があった。

 

 その焼肉店は千円だけ払うと、一時間十五分以内なら、幾らでも肉を食べる事ができると言う、低価格化時代の最先端を駆け抜けて行く様な体系を導入していた。

 

 当然、いつ訪れても店外には、客の列が伸びている。

 

 空腹を抱え、肉の焼ける匂いや、鼓膜を素通りし胃袋に直接、囁き掻けてくる“じゅうじゅう“と鳴く音に悩まされながら、走馬燈の中に恐らく登場しないであろう無為な時間を店の外で過ごす。

 

 神経がささくれ立った頃、漸くテーブルまで辿り着いて、長年に及ぶ困窮の所為で、すっかり味覚を見失ってしまった口内に、急いで肉を放り込む。

 

 ただ肉を気が済むまで食べ続けられると言う事実は、僕達の何かを満たしてはくれた。

 

 一応に満足し煙草に火を点けて、さてこれから相方と次のネタの話や、気になる子の話でもしようかな等と思っていると、店員の年配女性がテーブルの周囲を不自然にうろつき出し、何だか見ていられない仕草で、下手な圧をかけてくる。

 

 いた堪れなくなり店を出て、油塗れになった己の臓器に苦しめられながら、相方とあれこれと話をして家まで自転車を漕ぐ。

 

 その道中、僕は“金があるくせに安い肉ばかり食う奴の気がしれん!”とか“あのババア!”等とやたらと吠えた。

 

 三十代に突入し、まだ学生の頃に出入りしていた様な店で、自分が胃袋や心を満たさねばならないと言う現実に、僕は酷く蝕まれていた。

 

 そんな時も、相方は決して僕に同調する事なく、達観したかの様な顔で前だけを見て、黙々とペダルを漕ぎ続けていた。

 

 懲りずにその焼肉店に僕達は通い、肉を頬張っている最中にある事に気がついた。

 

 相方が、何故か金網の先端部の僅かな空間だけを使って、肉を焼いているのだ。

 

 ちまちまと動く相方の箸先が、僕の膨張した神経をやけに刺激する。

 

「せこい食い方すんなや…」といつもの如く悪態をつこうとして、はっとした。

 

 金網上の大方の空間が、僕が置いたハラミ群によって占められていたのだ。

 

 そのハラミの群は、暗黙の境界線を我物顔で越え、末端に微かに残された相方の領土ですら、今にも奪い去らんとしている。

 

 僕はハラミを口に放り込む事に没頭し過ぎていて、自分が侵略行為に手を染めている事に気付いていなかった。

 

 何とも卑しい限りである。

 

 急に恥ずかしくなって、「すまん…」と言う言葉が口を衝く。

 

「やっと気付いたか…」

 

 そう言って相方は、何だか寂しそうに笑った。

 

 我相方とは、そう言う男なのだ。

 

 自宅のソファーで横になり、うっかりと幻の国境を越えてしまった瞬間、鋭い蹴りを“びゅんびゅん”と叩き込んでくる、うちの嫁さんとは違うのである。

 

 取り留めのない事を思い出したり、相方と他愛もない話をしているうちに、どうやら鉄板の上のお好み焼きが、良い頃合いになったらしい。

 

 話を中断し、お好み焼きを切り分ける。

 

 もう粗方、一通りの思い出話にも触れた様な気がして、そろそろ本題に入ってゆくべき時間帯が来ている様な気がした。

 

「ほんで、これからどうする感じ?」──

 

 こうして急に相方と会う事になったのには、理由があった。

 

 先日、相方のブログを見ていると彼の生活に何らかの変化が起こりつつあるらしき事が書かれていた。

 

 最も相方のブログは暗号めいた単語が乱発されている為、乱数表を所持していない僕には、全く意味を捉え切れない事が多々ある代物だ。

 

 映画の感想が書かれた文章では、正式なタイトルすら記載されておらず、ストーリーも感想も暗号に阻まれて、やっぱりよくわからない。

 

 だから目を通すと、どうやら相方が何処かで、誰かと何かの映画を観て、何事かに感謝したらしいと言う輪郭が呆やけた事しか伝わって来ず、読後にもやもやとした物だけが残ったりする。

 

 一度、誰か暗号を紐解く解読表を所持していないか、仲間内で集まった時に聞いてみた事がある。

 

 しかし皆、「うーん…意味わからんすね…」と表情を曇らせるばかりだった。

 

 僕達意外の誰かに向けて、相方はブログを書いているのだろうか。

 

 しかし逆に、伏せたり、隠したりすればする程、鮮明に浮かび上がってくる事柄があり、それが人に伝わってゆくのが文章と言う物の本質だったりもする。

 

 読後に独特の消化不良を抱えながらも、僕は相方のブログを読み続けた。

 

 ほんの一時であれ、同じ夢を追ったのだ。

 

 そんな男の動静を、気に掛けないでいる事の方が難しい。

 

 先日、久方ぶりに更新された相方のブログを見て、すぐに僕は彼に電話を入れた。

 

バイト、やめたん?」と聞くと、相方が「なんで知ってるん?」と聞き返してきた。

 

 相方のブログが更新される度に、目を通している事を本人に伝えるのは、何だか気恥ずかしい物がある。

 

 適当に誤魔化そうとも思ったが、そんな上辺だけの事を言う間柄でもない。

 

 それに相方が、いよいよ就職するとなれば、どんな形であれ、自分のできる範疇で協力を惜しまないと言う気持ちで僕はいるのだ。

 

 なかなか本心を明かす事のない相方に、僕の方から嘘を言う訳にはいかない。

 

「ブログ見たんや」

 

 そう僕が言うと、自分のブログが読まれていると思っていなかった所為か、相方は何も答えなかった。

 

 「お好み焼き旨いな」と言い合いながら、僕は相方に今後の身の振り方について尋ねてみた。

 

 相方は、取り合えず知人に仕事を紹介してもらうつもりだと答えた。

 

 夢を諦めた以上、一度は企業や店舗に正式な形で所属し、ある程度の社会経験を積んでゆく必要があると僕は思っているので、それを相方に伝えてみた。

 

 しかしそれは旨く躱された。

 

 相方のこれからの人生を左右する事なので、僕も自分の考えだけを独善的にぶつける訳にはいかない。

 

 先日、うちの会社のトップクラスにいる方と酒席を共にする機会に恵まれた。

 

 僕はその席で相方の事を、その方に相談してみた。

 

 何百人と言う人間を纏め上げ、その家族の生活までを気に掛けねばならないと言うポジションに何年も就いておられる方だ。

 

 仕事で結果を残すだけではなく、確実な人間性や道徳観を、常に求められている人である。

 

「うーん…。難しいかも知れんが、何かの実用的な資格をとって、就職を目指すしかないんやないか。今からでは、遅いかも知れんが… それは本人次第やからな」

 

 その方にも、そう言っていただいた。

 

 勿論、僕自身もその直後に「人の心配していられる立場ちゃうやろがい!」と発破を掛けられ、「ひぃぃぃ!そうでした!」と大仰にあたふたして笑かし、なんとかその場を切り抜けたのだった。

 

 兎に角、ちゃんと社会性のある人の意見と言う物を相方にぶつけてみた。

 

 それも相方は、即座に「無理だ」と言う。

 

 何故か聞いてみると、様々な負債があり、それは難しいと言う返答が返ってきた。

 

 そこで僕は、痛恨の思いに駆られた。

 

 コンビを組んでいる時代から、相方に負債がある事は薄々、気付いてはいた。

 

 後輩から、そんな噂が入ってくる事も多々あった。

 

 しかし恥ずかしい話、僕達のコンビはアルバイトをする時間が圧迫される程、芸の仕事量があった訳ではない。

 

 以前、組んでいたコンビでは、舞台に多く立たせて貰っていたため、なかなかアルバイトに精を出しているわけにもいかなくなり、その時期には僕もカードローンに手を出した。

 

 その借金も、相方とコンビを組み直し、芸の仕事が減少した頃から、再びアルバイトに励み出し、すぐに返済する事ができていた。

 

 そんな状況だったので当時、相方の負債の事は軽く考えてしまっていたのだ。

 

 あの時に強く意見していたら、何かが変わっていたのかもしれない。

 

 そう思うと、何だかやり切れない気持ちになった。

 

 だが不思議な事に、厳しい状況に置かれている筈の相方からは、何の切迫感も伝わってこない。

 

 負債や問題を抱えて、何とかそれを必死で跳ね返そうとしている人からは、特有の切迫した気流が漂ってくる。

 

 そしてそう言う人程、暫くして会ってみると難題を何とか切り抜けていたりするものだ。

 

 しかし目の前にいる相方は、何年にも及ぶ自分の状況に慣れてしまったのか、負債の話をしながら涼しい顔で電子煙草をふかしている。

 

「何処にそんな金があんねん!」と思わずツッコミそうになるが、そう言う事態ではない。

 

 これが僕と相方の立場が逆なら、いくらでも成立するし、仲間達も「本当にあの人、どうしようもねぇな」と笑ってくれたに違いないのだ。

 

 しかし普段はいい加減に振る舞っている僕の方が、堅実な選択を好み、皆が口を揃えて真面目だと評す、相方の方が後先を考えずに、一時の感情に心身を蹂躙されたりする。

 

 それが我々コンビの何ともややこしく笑いに変わり難い所なのだ。

 

 急に僕の方が焦燥し、自分では相方が今、抱えている問題を好転させる事等できないと言う気がしてきた。

 

 僕は相方に、共通の知人に相談する事をすすめた。

 

 その知人には、僕達は若い頃から世話になっている。

 

 何より知人は、僕や相方が誤った方角に舵を切ろうとした時に、僕達を全力で叱ってくれる人だった。

 

 会社の先輩や上司や同僚、何なら嫁さんでもいい。

 

 人には何歳になろうが、どんな立場になろうが、身近に自分を厳しく律してくれる人間が必要不可欠だと僕は思っている。 

 

 僕等と言う甘えや自己中心性の顕著な者は、そう言う厳しい人達のお蔭で何とか日々を前に進めていけている様なもんである。

 

 自分の力により今まで獲得できた物等、たかだか知れているし、もしかしたら皆無なのかも知れないと思う事すらある。

 

 だから時代に抗ってでも、結婚に否定的な友人達にその必要性を説いたりするのだ。

 

 “思い上がるな。ずっと一人でいて、偏ったり、硬直せずにいられる程、自分の平衝感覚は優れているのか”と。

 

 “一生続いてゆくかもしれない孤独に耐え抜ける程、強靭な精神を有していると思っているのか”と。

 

 特別な力や突き抜けた才能を持っていないからこそ、人の意見を数多く聞ける機会には恵まれる。

 

 こんな貴重な機会を生かさない手はない。

 

 しかし相方は、知人へ相談する提案も受け入れなかった。

 

 その理由も聞いてみたが、やっぱり判然としない。

 

 数年前に、耳の痛いその人の話こそ聞くべきだとよく言っていたのは相方自身である。

 

 何時からこんなに…。

 

 僕は何も、自分の意見が正しいとも、受け入れてほしいとも微塵も思っていない。

 

 ただ一つの見解を吟味したり、時には受け入れたりする土壌が、その人の中にあるのかどうなのかが重要だとは思っている。

 

 自分も年齢を重ね当然、縁がある近辺の人達も皆、年を重ねてゆく。

 

 仕事や結婚と言った悩みも年々、深刻度が増してゆく様に思われる。

 

 例外等あろう筈もなく、自分もその渦中にいる。

 

 いつ会っても、事態が好転してゆかない人達に共通している様に思えるのは、相談されたり、話題に持ち出したりするから皆、意見してみるものの、当人には全く響く事がないと言う点だと思う。

 

 自分の狭い範疇で既に結論が弾き出されており、色んな解決策が提示されても、己が導き出した結論や思考に固執し、枠が広まる事を何故か極端に拒絶する。

 

 柔軟に色んな道程を目の前に広げてみて、眺めてみるだけでも景色は随分と変わっていったりするもんだと思うのだが。

 

 若い人はいいと思った物は、発した相手が誰であろうと感ずる物が少しでもあれば、素早く反応を示す。

 

 仕事中に若い人を見ていて、僕はその柔軟性に何度も驚かされたりした。

 

 それに大前提として、どんなに厳しい状況に置かれていても、迸る様な動力感が全身から溢れ出ているヤツには誰も何も言わない。

 

“あぁ、こいつは今は厳しいかも知らんけど、自分で何とかしよるんやろな”と思うだけだ。

 

 もう近辺から様々な声が聞こえ始めた時点で、己の動力炉は正常に機能していない事が多い。

 

 なぜなら静止してしまいそうな人間に、何も手を差し伸べない程、周囲の人と言うのは冷たくはないからだ。

 

 何処かで精神をオーバーホールする事なく、新たな航海に向かおうとする相方の行く末が明るいものであってほしいと願う。

 

 本音を言うと、僕は別に悪路だろうが逆風だろうが、苦にせず、泥臭く進んでゆく相方がもう一度、見たいだけなのかもしれない。

 

 客席の空気が重く、回りの芸人が尻込みする中、逆に燃え上がり、舞台で無茶苦茶に暴れ出す。

 

 僕がいつも傍で見ていた相方は、そんな男だった。

 

 あの焼け焦げる寸前まで高速で回転し、自身と回りの人間までも巻き込んでいた野太い彼の動力源。

 

 そんな彼と再会したいだけなのだ。

 

 お好み焼きを何枚か平らげて、窓の外が暗くなっても相方と話したい事はいくらでもあった。

 

「そろそろ帰るわ」

 

 そう言って、我が家を後にする相方の足取りは、舞台に上がってゆく時と何も変わっておらず、軽やかなままだった──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

相方 1

 ケータイを片手に玄関の外に出て、階下を覗くと、前の歩道をきょろきょろしながら歩いて来る男の姿が見えた。

 欠かさず筋トレを続けている所為か、長らく続いた運送屋でのバイトによる為なのか、判断はつかないが、相変わらず男のガタイは良かった。

 身なりも小綺麗にしていて、一見するとジム通いを趣味にする実業家の様に見えなくもない。

 数ヶ月ぶりに見る相方の姿は、あの頃と何も変わっていなかった。

 懐かしさと嬉しさが込み上げてきて、僕の顔は自然に綻ぶ。

 一年くらい前にも、相方は我が家を訪ねて来てくれた。

 しかし今回、その時とは別のルートを使った為、相方は道に迷ったらしく、うちの近所から数分前に電話を掛けてきていた。

 僕はすぐにベランダに出て、相方の姿を探してみたものの、高層の建造物に視界を遮られ、彼を確認する事は叶わなかった。

 急に道順を説明するのが億劫になり、いつもの様に頭上を低空飛行している旅客機を見て「とにかく飛行機の飛んでる方にきてや」とだけ言って電話を切った。

 そんな雑な説明が罷り通るのも、相手が相方だからである。

 要らぬ気を此処まで廻さずに済む関係を、なかなか築けるものではない。

 当然の事ながら嫁さんと話す時でも、もう少しは心を砕く。

 相方もいい加減な僕の返答には、慣れたもので「はいー。また近くまで行ったら電話するわ」とだけ言った。

 相方から再び電話が掛かってくるまでの間、僕はベランダで煙草を吸う事にした。

 紫煙の隙間から絶え間なく秋空を横切ってゆく、飛行機の巨大な腹が見える。

 相方と久し振りに話した所為か、不意に数年前の事が思い出された。

 当時は思う様にならない現実に日々、無駄に疲弊していた様な気もするが、何故か蘇ってくる相方と過ごした時間は、どれもこれも楽しいと思える事ばかりだった。


 その日ー

 僕達は後輩の構成作家に連れられて、心斎橋にある“大阪プロレス”の道場に向かっていた。

 当時、あるライブで相方が様々な物を相手にプロレスの試合をすると言う企画が行われていて、それはなかなか評判が良かった様だ。

 椅子から始まった相方の対戦相手は、ライブを重ねる毎に傘やラジコン等に変化していった。

 僕は新日本プロレスのTシャツを着て、相方のセコンドに付き、試合が始まるとレフェリーとしてその試合を裁いた。

 前回のライブでは、相方の対戦相手はロープだった。

 ロープが、相方のチョークスリーパーに堪らずロープブレイクをすると言う混乱した試合を制し、相方がすかさずマイクを握って叫んだ。

「次はアメ車とやってやっぞ!バカヤロー!」

 相方の叫びに呼応して、劇場内に充満していた何かが弾け飛ぶ。

 ひしめき合った大勢の人達が、声を上げて一斉に笑い出す。

 辺りを見回すと、同じ舞台にいた芸人達も崩れ落ちて笑っていた。

 数百人もの人が同時に発する笑い声と言うのは、前向きな破壊力に満ち、迫撃弾でも間近で炸裂したかの様な衝撃さえ感じる。

 そのパワーは苛烈で、舞台の床が揺れ、機材に被われた天井すら軋んでいる様な錯覚さえ起こす。

 沸騰した気流の中心に自分が、存在している事が芸人として何より嬉しい。

 そしてこのうねりを、我が相方が起こしたのだと思うと、とても誇らしかった。

 数日後、そのライブの担当である構成作家から連絡が入った。

「次の試合を、アメ車とやるのは流石に無理です。その変わり、大阪プロレスの本物のレスラーとやってもらいます!」

 そんな構成作家の言葉を聞き、僕達は酷く混乱し言葉を失った。

 まず本物のプロレスラーが、若手の劇場に出演してくれる等と言う事は聞いた事がなかったし、

 三十を超えたオッサンが、椅子やロープと真剣にプロレスをやるからコントと言う範疇に納まるのであって、相手がレスラーとなれば、それはもうただの“試合”なのではないかと言う強い疑問が沸いてきたのだ。

 しかしすぐに自分達が置かれた状況の滑稽さに耐え切れなくなって、僕達は二人で爆笑した。

 僕も相方も熱心なプロレスファンで、会話の半分以上をプロレスの事が占めていた時期があった。

 そのため大阪プロレスの道場を訪れる前は浮かれてしまい、傍から見たら恥ずかしい程に二人ではしゃいだ。

 しかし大阪プロレスの道場に入った瞬間、自分達が思い描いていた展開が、大きく間違っていた事に気が付いた。

 レスラーの皆さんが優しく、僕達を道場に招き入れ、和気藹々と打ち合わせが進み、帰り際にサインでも戴いて帰れると僕は甘く考えていた。

 正直に言うとプロレスファンと言っても、僕も相方も、新日やノアや全日と言った所謂、メジャー団体の事にしか明るくなく、大阪プロレスの所属選手は、えべっさん、食いしん坊仮面、そして小峠選手と原田選手からなる“桃の青春タッグ”くらいしか知らなかったのだ。

 それなのに前夜に時間があったにも関わらず、舞い上がっていた所為で、大阪プロレスの事を事前に下調べもせずに此処へ来てしまっていた。

 しかも僕は胸にライオンマークがプリントされた新日本プロレスTシャツを着ていたし、相方は相方でグレートムタのTシャツを着ていた。

 これはよく考えると、阪神の法被を着て巨人の練習場に乗り込む様な物だ。

 相手側に良い印象等、与えられるわけがない。

 案の定、大阪プロレスのスタッフさんは僕達に何の反応も示さず、事務的に道場の中へ案内した。

 道場の中央にリングが設置されていて、その上で数人の所属レスラーの方が、本番さながらの激しい稽古を行っている。

 当たり前の事だが、道場の空気は隅々まで張り詰めていて、僕達が入り込む余地等、あろう筈もない。

 鍛え抜かれた肉体の威圧感と、余りの練習の迫力に押されて、僕達は完全に飲まれてしまった。

 僕達と構成作家は、道場の端の方で何か声を掛ける事もできず、ただただ息を潜めて、リング上を見つめ続けた。

 僕はリング上に“桃の青春タッグ”の二人がいる事を発見し、小峠選手と原田選手にだけ視線を集中させた。

 若い二人が必死になって、練習に取り組んでいる。

 その姿を見ていると、浮かれるだけ浮かれて、調子に乗り倒していた自分が、急速に恥ずかしくなってきた。

 稽古が一段落着き、レスラーの人達がリングから次々と下りてくる。

 レスラーの人達がちらちらとこちらに向けてくる視線に、厳しい物が含まれるている様な気がする。

 この仕事をブッキングした構成作家が、稽古を指導していた年輩のレスラーに駆け寄り、何事か言葉を交わす。

 よく考えたら僕達は今日、この道場に何をしに来たのだろうか?

 次のライブで相方と対戦するレスラーの方と、顔合わせをするくらいの心持ちで僕はいた。

 ただ顔合わせくらいなら、大阪プロレスの事務所でも十分に事足りる筈だ。

 何故、道場の内部にまで入り込む必要があるのか?

 僕達の立場に置き換えてみると、何者かわからない部外者が劇場にやってきて、ネタ合わせを遠くからずっと見ていたら、決して良い気分にはならないだろうと思う。

 何らかの話がついたのか、小走りで僕達の元に構成作家が戻ってきた。

「今から椅子とできますか?」

 何故か目を血走らせて、構成作家が言う。

「何処で?」

「リングの上です!」

 構成作家のその言葉に相方は、黙って頷き、素早く手の甲にテーピングを巻き始めた。

 今から本物のリングの上でプロレスラーだけが見詰める中、自分達のネタを披露する。

 急にそんな状況に陥り、僕の脳髄は酷く混乱した。

 オタオタする僕には目もくれず、相方は淡々と準備を整えている。

 普段、恐ろしく繊細な相方だが、実は土壇場に強く、腹を決めるのも早い。

 逆に平常時には何も考えてないし、図太い等と言われている僕の方が、勝負所では脆く、本番にも弱かった。

 後輩の構成作家も、それをよくわかっていて、しきりに「大丈夫です!いつも通りやって下さい!」と僕にばかり気合いを入れてくる。

 いつも通りも何も、僕は相方の邪魔にならない様に動き、レフェリーの真似事をするだけなのだ。

 何故か何度も、構成作家の後輩に背中をさすられ、何とも言えない気恥ずかしさに苛まれた。

 準備を終えて、相方と共にリングに向かう。

 プロレスラーの方達が、僕達のネタを見ようとリングの下に集まってくれている。

 しかしそこに好意的な空気は流れていない。

 プロレス界はエンターテイメントとスポーツの間で、微妙なバランスを保ちながら存在している世界である。

 そのため世間からの風当たりや偏見も強い。

 特にこの当時は新日本プロレスの人気も今の様に爆発しておらず、急激に大衆の心を掴む事に成功した総合格闘技にプロレス界全体が一気に隅の方へと追いやられていた時代である。

“芸人だか何だか知らんが、プロレスをなめる様な真似だけはするなよ”

 辺りにいるレスラーの視線が、そう言っている様に僕には感じられた。

 自我が必要以上に昂っている所為か、初めてリングに上がった感動等は微塵も味わえない。

 ただ心地良いマットの弾力性に、相方がいつも以上のパフォーマンスを発揮するだろうなと確信した。

 相方は普段、固い劇場のフロアーの上へパイプ椅子の捻りの効いたバックドロップで投げ落とされているのだ。

 この軟らかいマットの上なら、何も気にする事なく、豪快な受け身を取る事ができる。

「お願いします!椅子と闘うプロレスラー!」

 リングの上で、僕は絶叫する様にそう叫んだ。

“俺らだって本気なんやぞ”

 そう言う思いを込めた。

“カーン!”

 誰が叩いたのか本物のゴングの音色が響く。

 その余韻が残る中、相方が勢い良くロープに向かって走る。

 巧くロープの反動を利用して、相方はスピードの乗った見事な倒れ込み式ラリアットをパイプ椅子の喉元に全力で叩き込んだ。

 劇場ならいつもは、ここで笑い声が起こる。

 しかし今日は「オォ!」と言う野太い声が聞こえた。

 相方のよく研究された本格的なラリアットフォームと、腕の一本や二本、ここで折れてもいいと言う極端な覚悟とが、同時にレスラーの方達に伝わった様だ。

 野太い「オォ!」と言う反応には、そんな感嘆の思いが確かに込もっていた。

 それからは、相方が技を繰り出したり、受身を取る度に、リングサイドから「オォ!」と言う反応があった。

 そしてその野太い「オォ!」は、相方のライガーボムがパイプ椅子に炸裂した所でピークを迎えた。

 パイプ椅子が何とかそれをカウントツーで返し、僕が大袈裟に“今のはツーだ!”とジェスチャーで伝えると観客席からは失笑が漏れた。

 最後はパイプ椅子が相方を大逆転の、スモールパッケージホールドで丸め込み、僕がマットを素早く三回叩いて、試合は終了した。

 その瞬間、レスラーの方達が長い拍手を僕達に送ってくれた。

 リングサイドの皆が笑っている。

 相方がリングを下りると、レスラーの人達が寄ってきて握手を求めてきた。

 しかも相方は「いつもは何処でネタをやられているんですか?」とレスラーの方に聞かれている。

 僕はついでと言う感じで握手をされ「レフェリー!最後のカウント早いよ!」等といじられまくり、ろくな返しもできずにただ立ち竦んだ。

 その後、僕達は相方と対戦するレスラーの方を交えて打ち合わせをし、道場を後にした。

 同じエンターテイメントを志すレスラーの人達とわかり合えたと言う高揚感は、その後、数年もの間、僕の根幹を支え続けたー


 煙草を吸い終えて、旅客機が頭上を幾度か通過して行った後に、相方から電話が掛かってきた。

「マンション見えたぞ!」と相方が言うので僕はベランダから出て、リビングを横切る。

 今、自分が身を置いている時間が決して薄いとは思わない。

 しかしあの頃、相方と共に過ごした時間は、密度やら感情やらが過剰な程、濃く深かった様な気がする。

 それも渦中から出て、初めて感じられた事だ。

 玄関側に出て、階下を覗き込むと相方の姿が見えたので僕は手を振った。

「こっち見えるか?」と電話で言うと「見える見える。相変わらず高い所から、手を振るのが似合う男やな」と相方が返してきた。

「言われた事ないわ!生まれてから一回も高台から手ぇ振った事ないどぉ!」

 久し振りに全力で突っ込むと、電話の向こうから、けたけたと笑う相方の声が聞こえてきた。

 


 




 

 

 

 

 
 
 

 

 
  

 
 

 

   


 
 

 
 

 

 



 

 



 

 

 

 

 



  

 

 
 

 
  

 

 



 

 
 

 
 

 
 


 



  
 
 
 

 

 
 

試行

 リビングに置かれているテーブルの周囲には、濃いソースの匂いが満ちていた。

 目の前にあるホットプレートの上で、お好み焼きが泥々としたソースにまみれている。

 その光景は、僕の食欲を強烈に刺激した。

 夕刻に、職業訓練学校時代の友人が我が家に遊びに来た。

 調理師の経験がある彼は、我が家流のお好み焼きの味を整え、鮮やかな手つきで、それを焼き上げてくれていた。

 うちのお好み焼きは、擦った山芋を生地に大量に流し込む。

 僕も嫁さんも、山芋の量に比例して、お好み焼きのふわふわ度が増すものだと思い込んでいたのだ。

 山芋の量を適正に調整し、巧く捌かれているお好み焼きは、いつもにも増して、ふわふわしている様に感じられた。

 焼き上がったお好み焼きの欠片を口に運び、酒を喉へ流し込む。

 彼とは勤めている会社が違うため、微妙に休みが合わなかったりするのだが、家が近所と言う事もあり、月に一度は酒を共に飲んでいる。

 僕は、もっと頻繁に会いたかったりするのだけれど、彼は「面白いけど疲れるから」と言う理由で山芋と同じく、一緒に酒を飲む頻度も調整してくれている。

 結婚する前は当時、嫁さんが住んでいたマンションと彼の家がすぐ近くだったため、勝手に“黄金巡回”等と名付けて、嫁さんの部屋と彼の部屋を、僕は交互に泊まり歩いたりしたものだ。

 そんな僕の傍若無人な振舞いが許されるのも、彼がとても度量が広い男だからだ。

 付け加えると、彼がまだ結婚していないのでついつい甘えてしまう。

 やはり結婚している友人達には、流石にがさつな僕も遠慮をしてしまうのである。

 意外な事に、彼と僕の嫁さんはこの日が初対面だった。

 これまでに幾度も嫁さんを紹介する機会はあったし、僕が彼の事をよく話すので、嫁さんも会いたがっていた。

 しかし僕は、彼に嫁さんを会わせる事に、何故か消極的だった。

「そんなに私を、会わしたくないんや」と何かある度に嫁さんは言う。

 僕は曖昧な返答を繰り返し、それをかわす。

 そんな事が永らく続いていた。

 嫁さんを彼に会わせるのが嫌なのではなく、嫁さんの前での僕で、彼に会いたくなかったのだ。

 ただ嫁さんの前での自分と、彼の前での自分が、何処がどう違うのか僕自身にもよくわからなかったりする。

 冷静に考えてみると、そんな事をする意味も効果もない様に思う。

 昔から僕は自分の近辺の事を、人に隠す様な所があった。

 自分でも霞みが、かかっている様にその理由ははっきりとしないのだが、結局、自信が持てなかったり、守っていたり、面倒くさかったりするのだと思う。

 就職してから、特に思う様になったのだが、嘘をついたり、誤魔化したり、隠蔽したりすると、話はややこしくなるし、人に物事が全く伝わらなくなる。

 ある時、仕事の休憩中に同僚の人と他愛もない話しをしている最中に、僕は何かを隠そうと適当な事を言っている自分に気が付いた。

 しかもそれを無意識の中で、行っているのだから質が悪い。

 意識の外でできる程、その行為が自分の中では自然な物となっていたのだ。

 誰も自分が思ってる程に、僕なんかに興味はないだろうし、隠している本当の事を言っても、別に僕の印象なぞ、今更、変わりはしない。

 いい年になって、そんな無意味な事を続けている自分に嫌気がさし、何だか馬鹿馬鹿しくなった。

 それから僕は、できるだけ本当の事だけを言って、自分を晒け出そうと思う様にしている。

 そう思ってからの方が、確実に何かが楽になった。

 だから今夜も、彼と嫁さんを会わせ様と思ったのだ。

 彼が焼いてくれたお好み焼きをアテに、嫁さんはいつも通りビールを旨そうに飲んでいた。

 会話は盛り上がり、他愛もない話しは様々な所を経由しながら、止む事なく続いた。

 酒で心地好く、惚けた気分の中で僕も何事かを話していた。

 不意に彼が、僕の書いた文章が面白いと言ってくれた。

 普段、雑な僕がまさか文章等を書いているとは思っていなかったらしく、嫁さんは何度か瞬きを繰り返し、驚いている様子だった。

「ブログをもっと更新して、小説も書きなはれ!」

 彼が、なかなかの熱量でそう言ってくれた事が何だか酷く嬉しかった。

 曖昧な返事をし、秘かに喜んでいた僕の思考に酩酊気味の嫁さんが強引に割り込んできた。

「あたしが文学部やって知ってるやんな!太宰の人間失格で卒論書いて、優やったんやで!あたしが納得する様な物を書いてほしいもんやわ」

 勿論、嫁さんが文学部だった事は知っているし、太宰作品が好きな事も僕は承知していた。

 告白すると僕が、酔った時によく太宰の悪口を言うのも嫁さんが太宰ファンだからなのだ。

 零戦乗りである坂井三郎や岩本徹三の戦記物ばかりを読んでいた十代の頃に、僕はたまたま太宰の“人間失格”を読んだ。

 真の日本男児の生き様に傾倒していた十代の僕には、“人間失格”は酷く格好悪い物に映った。

 しかも太宰は、坂井三郎や岩本徹三と同じ時代を生きている。

 生きたくても生きられなかった余多の人がいる中で、戦後、女性と共に入水自殺してしまった太宰を僕は快く思っていなかった。

 ただそれも「うわぁ、しょーもないなぁ」と思っていた程度に過ぎない。

 しかし結婚する前から、本の話題になると太宰の事ばかり話す嫁さんを見るにつけ、何故か太宰への嫌悪感が増していった。

 嫁さんに恋心を抱いていた時期には「僕も人間失格、高校の時に読みましたよ!」と言う鳥肌が立つような科白までを、自分は吐いた。

 付き合って初めて出掛けた時も、嫁さんは太宰の話しをした。

 まさか神戸まで夜景を見に行く最中に、「太宰、戦争行ってへんやんけ!ほんで女と自殺するなんて最悪やんけ!何人、あの戦争で生きたいと願った人が死んだと思っとんじゃい!」と右側の翼に全体重を浴びせ掛ける様な事を言うわけにはいかない。

 せいぜい遠くを見ながら「太宰なぁ…」と呟くのが精一杯であった。

 そんな事を何度か繰り返すうちに、僕は酔うと太宰の悪口を言う様になっていた。

 嫁さんの前で口にできない事を、酒席でぶちまける。

「誰の悪口言うとんねん!」と共に飲んでいる仲間はよく笑ってくれた。

 そうしたら僕はまた調子に乗って、太宰への悪口を捲し立てると言う、冷静に考えると下劣極まりない事を今も繰り返している。

 新しく焼き上がったお好み焼きを見ながら、僕の脳髄の中に“何でもいいからもっと書こう”と言う思いが沸き上がっていた。

 別に親友が薦めてくれたからでもなく、ましてや嫁さんに挑発されたからでもない。

 自分が書きたいから書く。

 “書かねば“と言う本心があるから、彼や嫁さんの言葉にこうやって僕は、過剰に反応しているのだ。

 何か事を成さんとする時に、「誰々がやれと言ったから…」と言う事程、愚かな事はない。

 単調な筈の毎日を生きていても、心身が揺すられる様な事は多々ある。

 それこそ書き残したいなと思う事は、毎日の様にあったりするのだ。

 しかし仕事の疲れから、なかなか書く気になれなかったり、家で本を読んだり、テレビを見たり、嫁さんの目を盗んでこっそりとエロ動画を鑑賞したりしていると、日々はあっと言う間に過ぎ去ってゆく。

 気がつくと書きたいと思っていた事の鮮度は失われ、もう今更、書けなくなっていて何処かへ置き去りにしてしまう。

 そんな事の連続だ。

 これからは今より少しでも多く、何かを書き残したいし、中断している小説も再開したいと思う。

 エロ動画の誘惑になんか負けている場合ではない。

 小説は書き上げたら、ちゃんと審査してもらえる所に提出したいと思う。

 僕はもういいオッサンだが、まだまだ自分のあらゆる可能性を試したいと思っている。

 仕事中に最も気分が高揚するのも、自分でも思っても見なかった所に新たな可能性を見出せた時だ。

 社会に出てから、“あぁうまくいかないな“と思う時も多々あるのだが、たまに“おお!こんな事が自分はできたんや!”とか“こう言う時間も自分は楽しいと思えるんや!”と発見できる瞬間も確かにあったりする。

 僕は、まだまだ自分の様々な可能性を試しまくりたい。

 一つや二つの可能性が潰れたからと言って悲観等したくない。

 死ぬ直前まで、様々な事柄を試行していたいと思う。

 深夜になり、親友が我が家から帰っていった。

 まだ薄くお好み焼きの匂いが漂うリビングに、嫁さんが五本目のビールの栓を開ける音が響いた。

 

 


 
 

 

 

 

 

 


 

  
 
 


 
 



 
 
 

 
 

  

 
 


 

 
 

 

 
 

 

 

 
 
 

 

 
 

 

 
 

 

 

捕獲

  

 会社のゲートを出て、最寄り駅への階段を昇ってゆく。

 

 沈みつつある陽が、低空から遠くに見える市内の街並みを照らしている。

 

 改札口を出て、ホームに下りた所で職業訓練学校時代の友人と出会った。

 

「何かええ事でもあったん?」

 

 僕の顔を見るなり、彼がそう言った。

 

  僕と彼は、同じ職業訓練学校に通い、ほぼ同時期に何とか今の会社に拾って貰った。

 

 年齢が近い事もあって、彼に僕はとても心を許している。

 

 彼が言う様に、今日は仕事の最中に日々、薄くなってゆく脳天にガツーン!と響く様な出来事があった。

 

 その高揚感は仕事を終えて、こうして駅のホームに下り立った今も、僕の心身を心地好く包んでいた。

 

 疲れ切る事も多いけど、希に心幹が痺れる様な日もある。

 

 そんな仕事をさせて貰えている事が、何よりもありがたい。

 

 友人にその話しをすると、何とも言えない顔で一緒に喜んでくれた。

 

 彼の笑顔は、いつも優しい。

 

 僕も彼も、決して若いとは言えない年齢で何の経験もなく、前職とは全く畑違いである世界に飛び込んだ。

 

 そんな無謀とも言える挑戦が、最初から順調にゆく様なら誰も苦労なんかしない。

 

 彼も僕と同様に、自分より一回り以上も年齢が若い人に怒鳴られたり、何度も頭を下げたりしながらも、何とか今日までやってきたんだろうと思う。

 

 彼とは入社してから幾度も、一緒に酒を飲んで来たが、そう言う生々しい話はお互いに避け合ってきた。

 

 前職が行き詰まってしまい、その傷がまだ癒え切っていない時期も、形振り構わず仕事を吸収しようと今よりもっと苛酷だった時期も、酒の力を借りて、際限なく愚痴る様な真似だけは二人ともしなかった。

 

 彼には、奥さんとの間に二人の息子さんがいる。

 

 その家族を守り抜いてゆくと言う覚悟を、彼は極々、自然に持っていた。

 

 彼と比べると、自分が持っている覚悟は力んでいて、硬直している様に思える。

 

 まだまだ結婚して日が浅い所為か、僕は自分を言い聞かせたり、往なしたりしながら、何とか自己の覚悟を堅守しているに過ぎない。

 

 その証拠に、心身が弱ってくると自分とは異なる生き方をしている人達の特集動画を見て、何かに思いを馳せたりしている。

 

 俗物的な生き方を捨て、定職に就かずSNSを駆使して、何とか僅かな生活費を稼ぎながら自由に生きている若者達。

 

 田舎の村落に移住し、廃墟を安価で借り入れ、村の人達のお手伝いをしながら、無理なく生きている人達。

 

 そこには、何事にも変えられない自由がある様に思える。

 

 しかし幾つかの動画を観ているうちに、緩慢な動作を繰り返す人物達に嫌気がさして、やっぱり自分には、こう言う生き方は無理だなと気がつく。

 

 そして暫く、その類いの動画を見なくなり、疲労が蓄積されてくると再び、また自由人を追い掛けているドキュメンタリー番組を見たりする。

 

 そんな軽めの現実逃避を、僕は秘かに繰り返している。

 

 ただ自分より自由に生きている様に思える人達を見ていて、一つ気がついた事があった。

 

 それは、その人達が自由と引き換えにあらゆる物を放棄していると言う事だ。

 

 動画でクローズアップされている人達のほぼ全員が独身で、酷く荒れた部屋の中で長時間ごろごろとしている。

 

 僕よりずっと若いのに、緩い自由と引き換えに快適な居住空間やら、日々の生活に転がっている筈の愛情やらをいとも簡単に手放してしまっている。

 

 社会に出て時間が経ち、様々な構造が徐々に分かり出してくると、如何に会社員と言う立場が優遇され、有利に戦いを進めてゆく事ができる様になっているかが見えてきたりする。

 

 会社に時間や身柄を拘束されたり、複雑な人間関係の中で渡航を続けねばならないと言うのは、社会のほんの一端にしか過ぎなかったりするのだ。

 

 結局、僕はやっぱり俗物的で、曖昧な自由を獲得するために、全てを放棄する気には到底なれない。

 

「あぁぁ…もうしんどいな。田舎にでも逃げたろかなぁ」

 

 人で溢れる電車の中で、脇に立つ友人にそう呟いてみた。

 

「やめときや」

 

 彼からの返答は、それだけだった。

 

 直ぐにギブアップする人物や、停滞に甘える人物に彼は酷く厳しい。

 

 いつもは優しい彼のそんなシビアな一面が、僕はとても好きだったりする。

 

 京橋駅に着くと彼は、「ポケモンを捕獲しに行くから」と言って、大阪城公園に向かった。

 

 面白いオッサンやな。

 

 すっかり陽が落ちた駅のホームで、人混みに消えてゆく彼を見ながらそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バス停

 

 仕事から、帰るとまだ嫁さんが帰宅していなかった。

 

 今日は僕の方が、早く仕事を終えた様だ。

 

 先に帰宅した方が、夕食の準備をする。

 

 それが我が家のルールである。

 

 仕方なく、米を炊く用意をしていると電話に嫁さんからの伝言が入ってきた。

 

“体調が悪いから、夕食はいらない”

 

 伝言を見て、心配になった僕は、すぐに嫁さんへ電話を架けた。

 

 確かに嫁さんの声はいつもより、か細くしんどそうだった。

 

「バス停まで迎えに行こか?」

 

 と僕が言うと「いい……」と力なく返事をし、電話が切れてしまった。

 

 何故、不調の時に旦那に強がる様な真似をするのかと少し腹が立ったが、それが彼女の性格である事は承知している。

 

 いちいち些細な事で、引っ掛かっていても仕方がない。

 

 リビングで煙草を吸った後、僕は嫁さんを迎えにバス停に向かった。

 

 人の体調が心配になり、迎えに出掛ける。

 

 当然の事ながら、こう言うのは、独身時代の僕の生活には無かった事だ。

 

 億劫に感じない事もないが、嫁さんの心配をする事で、自分の中で張詰めたり、疲弊している物が和らいだりもする。

 

 パートナーの身を案じると言うのは、やはり人にとって大切な事だと思う。

 

 陽の暮れた団地の駐車場に出る。 

 

 少し前まで、執拗に粘りついてきた夜気も今は涼しく心地好い。

 

 公園横の歩道を通り、橋の上に出ると外灯に照らされたバス停が見えた。

 

 丁度、梅田方面から来たバスが停車し、嫁さんが下りて来る所だった。

 

 足取りが確りとしていたので、僕は少し安心する。

 

「大丈夫なんか?」と聞いてみると

 

「少し胃が痛いだけで大丈夫……」と嫁さんが素っ気なく答えた。

 

 そのまま無言で、部屋まで歩く。

 

 最近はお互いに仕事の合間を縫って、嫁さんは結婚式のための雑事をこなし、僕はマイホームを購入するための手続きをこなしている。

 

 結婚式の準備で揉めると言う、使い古されたあるあるを、勿論、僕達も一通りは経験していた。

 

 様々な物に追い立てられる毎日の中で、心を掻き乱される様な事が、勃発するのが結婚生活だと思う。

 

 しかしそれはそれでまた良い様な気もする。

 

 何よりこうして、待つ人がいる事も、待ってくれている人がいる事も、尊い事だと思うのだ。

 

 人の幸せとは、日々の心情の微妙な動きにあったりすると最近はよく思う。

 

 この国では、歯止めが効かないくらい未婚率が上昇しているらしい。

 

 結婚に対する後ろ向きな情報が氾濫し、価値観が多様化している、この熟れすぎた社会では、それも仕方がない事なのかもしれない。

 

 しかし未来に継がれてゆく物や、日々の愛情まで放棄してしまって一体、この国に何が残るのと言うのか。

 

 ましてや結婚を、メリットやデメリットで考えるなんて事は、無理矢理に規格の違う物差しを当てがっている様な物で質が悪い。

 

 確かに結婚には、様々な事柄に、労力と時間を全力で費やさねばならない側面が存在するとは思う。

 

 しかし、だからこそ人は己の範疇を飛び越え、成長し、新たなメリットを生み出してゆく事が可能になってゆく。

 

 何故、急に何の照れも無く、こんな事を僕が宣ったのかと言うと、それには先日あったある出来事が関係している。

 

 その日、僕は仕事が終わった後で、久しぶりに後輩と食事を共にした。

 

 焦げたガーリックの芳ばしい臭いが立ち込めるステーキハウスの店内で、僕はある漫才師の後輩と世間話しをしていた。

 

「僕には、全く結婚願望がないんです!」

 

 話しの流れの中で、その後輩が突然、そう宣言したのだ。

 

 正直、“相変わらず面倒くせぇヤツやなぁ”と思ったし、普段は表情も愛嬌も皆無な彼が、微かにドヤ顔をしていた事に何だか腹が立った。

 

 しかし同時に“結婚した事もないのに、そんな寂しい事を軽々しく言うなや”と強く思ったのだ。

 

 だが結婚生活の息苦しさや、自由のなさは容易に説明できても、普段、感じるあの心情が和らぐ微妙な空気感を伝える事はなかなか難しい。

 

 特に目の前にいるのは、何かを拗らせた、恐ろしく自己愛の強い三十六歳の男なのだ。

 

 薄くドヤ顔の残滓が漂う中で、僕は深入りしたらややこしくなるだけだと思い、曖昧な応対に終始した。

 

 ただやり過ごすだけでは、あのドヤ顔を清算する事が出来ないので「お前何歳やねん。大学生みたいな事、言うな」とは挟み込んだ。

 

 そこから彼の、止めどない愚痴を聞くと言ういつもの時間が始まった。

 

 彼と仲良くなって、もう随分と時間が経つが食事を共にすると漏れ無く、このオプションがついてくる。

 

 最初の二つ目くらいまでは、余りの深刻な雰囲気に押され、僕も真剣に聞き、自分のできる範疇でアドバイスを試みた。

 

 しかしその後は、僕は僕で不誠実かもしれないが、もう片手間でしか彼の愚痴を聞けなくなってしまう。

 

 素早く携帯のウィンドウに“世界で一番、Hな写真”と入力する。

 

 後は、検索して浮かび上がってきた画像を眺めつつ、彼が弾幕の如く吐き出す愚痴に何とか対処した。

 

 こう言う時に、いつも思い出すのが、僕の相方の事だ。

 

 相方は、この後輩のいつ終わるとも知れない愚痴や悩みを全力で聞く。

 

 誰とも真剣に向き合い、何度、裏切られてもまさに命を削る様にして何とか、人を前に進ませ様とする。

 

 相方のその誠実さは、いつ思い出しても、色褪せる事なく眩しい。

 

 エロ画像片手に、何とかこの時間をやり過ごしている僕には、とても真似が出来ない事だ。

 

 後輩は、あれだけ愚痴を吐き出しても、まだスッキリしていない様子だった。

 

 彼は、溢れある自己愛に蝕まれ、自我の根幹を腐食させてしまっているのかもしれない。

 

 自己愛なんて物は、誰にでもある。

 

 それがあるのが人間だ。

 

 ただ余りそれが強いと、やっぱり何処かでバランスが取れなくなってしまうんだろうと思う。

 

 自己愛でも何でも、愛に変わりはないのだから、その中の幾らかでも、人に注ぐ事が出来れば、彼の視野は何処までも広がってゆく。

 

 結婚願望がないと言い切る彼が、結婚する事によって獲得できる物は、とてつもなく大きかったりするのだ。

 

 終電前に、彼と別れて家路に着いた。

 

 “嗚呼、折角、久しぶりに漫才師と食事をしたのだから、もっとクリエイティブな話しがしたかったなぁ” 

 

 空席の目立つ電車に揺られながら、そんな事を思ったりした。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホセ

 

 銀行の応接室から出て、後方を振り返ってみると銀行員のお姉さんが、僕に向かって頭を下げ続けていた。

 

 急激に、何だか申し訳ない気持ちになり、何か言おうと思ったが、巧く言葉が出てこない。

 

「ほ、ほんまに真剣に考えます!」

 

 と理由の分からない事を口走ると、お姉さんの笑顔が瞬時に引き攣った。

 

 住宅ローンの審査に通った僕は、各銀行の金利データ表を掻き集め、どの銀行に融資を頼むのかを考え倦ねると言う、全く身分不相応な作業に日々を費やしている。

 

 微塵も現実感はなく、「やっとここまできたか」と言う達成感も沸いてこない。

 

 胸中に広がってゆくのは、漠然とした不安と黒々とうねる重圧のみである。

 

 会社の先輩が、高級車を購入した折、何故か余り嬉しそうではなかった事を思い出す。

 

「嬉しくないんですか!?」と思わず僕が、口走ると、

 

「あんまり… 三日間、何も考えずに飲み歩ける方がよっぽど嬉しい」と冴えない顔で先輩が答えた。

 

 “そんなもんかな”と、その時、僕は思ったものだ。

 

 「やっとマイホーム、ゲットできたぜぇぇぇぇ。イエーイ!」と言う単純な雄叫びを上げる気には到底なれず、どうやら僕は年を重ね過ぎた様だ。

 

 二十歳の時にホセメンドゥーサとの激闘の末、真っ白な灰になる事を痛切に願っていた僕は今、固定金利の底を見極め様と躍起になっている。

 

 しかもそれに対して、心を抗わせず、何もかもを有りの侭に受け入れると言う態勢を、いつの間にか自分の中に構築してしまった様だ。

 

 何とも言えない気分になり、数年前まで一緒に戦っていた仲間の声が急に聞きたくなった。

 

 適当に携帯のメモリーを眺めていると、何故か疎遠になってしまった仲間の名前に目が止まった。

 

 今も親しくしている仲間に、この心情で電話を架けると、不要な心配をかけてしまいそうだった。

 

「急にどうしたんですか!?何かあったんですか!?」と聞かれて

 

「ホセメンドゥーサと戦って、真っ白な灰になりたかった俺が今、金利の計算してんねん!」等と答え様もんなら、いよいよ頭がおかしくなったと思われるのが関の山だ。

 

 もし自分に誰かから、そんな電話が、架かってきたと思うとぞっとする。

 

 兎に角、僕は今、東京に住んでいる昔の仲間に電話を架けてみる事にした。

 

「もしもし…おはようございます!」

 

 酷く懐かしい声がする。

 

「おお!久しぶり!今、京橋にいてるんやけど飯でもいかへんか?」 

 

「あ…あの今、僕は東京に住んでいるんですよ」

 

 渾身のボケを投下したつもりだったが、意図が伝わらず真面目に答えられてしまう。

 

「あぁ…せやったなぁ」

 

 出鼻を挫かれ、何だか急に恥ずかしくなって、足を捻りながらも、何とか会話を強引に着地させる。

 

 それから彼の東京での暮らしやら、共通の仲間の話し等をした。

 

 仕事の事を聞いてみると、彼が弾んだ声で「順調ですよ!」と答えた後に、先日行われたある大喜利の大会で優勝したと教えてくれた。

 

 彼のその一言で、僕の陰鬱な気分が一気に霧散してゆく。

 

 彼とは数年前、幾度となく、同じ舞台で共に大喜利をやった。

 

 あの日々が、今、誰かの糧になっている事が素直に嬉しかった。

 

「先輩は、どうしてるんですか?」

 

「胸にシリコン入れて巨乳にしたよ」

 

「はぁ?何を言ってるんですか?」

 

「……」

 

 無駄に気分が高揚し、かましてみた芥川賞ボケも彼には伝わらなかった様だ。

 

「うそ。うそ。結婚して、もうすぐ家を建てる事になったんやわ」

 

 そう報告すると、彼は「さすがっすね!」と言った後、爆笑した。

 

 電話を切った後、久しぶりに大喜利でもやってみようかと思ったが、そんな暇等あろう筈もない。

 

 再び、銀行の金利表に目を落とす。

 

 視界を現実が、覆い尽くす。

 

 何だか吐きそうだった。