沢木
こうしてはいられない。
自分の胸のうちに広がってゆく青臭い感情に辟易しながらも、まだまだこう言う感情こそが僕にとっては必要やないんかなとも思う。
少し前から小説の真似事をしていて、そこにこの行き場のないエネルギーを放出するのが最善なんだろうけど、どうも気が乗らない。
僕の場合、何事も本戦に入って行くのに助走が必要だったりする。
自分の感情に熱が宿ったのは、相変わらず沢木耕太郎の書く文章が素晴らしかったからだ。
“流星ひとつ”
この“流星ひとつ”は様々な理由で長らく発表されずに封印されていた物らしい。
僕も何かの機会に、そのコメントを目にした事がある。
宇多田ヒカルのコメントから滲み出る切迫した状況と、その心労に僕の胸も痛んだ。
自分の母親が、壊れてゆくのを間近で見続けねばならなかった宇多田ヒカルの胸中は察するに余りある。
崩壊したのが“水晶のように硬質で透明な精神”であったなら尚更だ。
次に読んだのが、同じく沢木耕太郎の“奇妙な航海”と言う短編。
沢木耕太郎は、相手が時代の歌姫であろうが胡散臭い犯罪者であろうが全く分け隔てしていない。
取材対象に、どこまでも真摯に向かい合っている。
清濁合わせ飲むとは、こう言った事を指すんだと思う。
この三浦和義の話は大学生の頃に一度、僕は読んだ事がある。
当時、僕は小さな河の隣に建てられた学生アパートに住んでいた。
昔から人見知りをしない性格のせいか、ひっきりなしに色んなヤツが古橋を渡り僕の部屋にやってきた。
野球部の先輩や後輩。
同じゼミのヤツら。
休みになればバックパックを背負ってやたらと旅に出て行くヤツラ。
お笑い同好会のライブ仲間。
大学で話した事もなければ、見た事すらないヤツ。
彼女…。
何か熱に浮かされた様な日々だった。
窓に洒落たカーテン等ある筈もなく、建てつけの悪い障子が辛うじて西日を遮っていた。
その障子も訪問者達と酒を酌み交わす度に一枚、また一枚と破れてゆき
最後には、骨格に肉片が絡みついている様な状態になった。
夜になると破れた障子の隙間から長野の澄んだ星空が見えた。
そんな部屋で僕は、古本屋で買い漁った沢木耕太郎の文庫本をよく読んでいた。
その心の移り変わりが、丁寧で緻密に書かれているため読者もまた三浦和義と言う特異な人物を何となく知って行く事となる。
しかしこの短編は三浦和義が逮捕されて呆気なく唐突に終わる。
このラストが印象に残り、学生時代の残滓と共に今だに僕の頭を掠めたりする。
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