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あしたの鉄人

戦々恐々の日々

宇多田ヒカルと安部公房と太宰治によるジェットストリームアタック 2

 
 早朝に目を覚ますと、窓の外には朝焼けに染まる空が見えた。

 傍に建つ高層住宅を覆う灰色の壁面に、紅みが差している。

 幸い出勤時間までには、まだかなりの余裕があった。

 ベランダで一服しようかと煙草盆を手に取り、立ち上がる。

 あるノンフィクション作家は、窓から街を眺めるのが最も好きな時間だと綴っていた。

 確かに人の営みや街の気配を、こうやって離れた場所から感じていると、今日と言う平凡な一日が、何か特別な意味を持つのではないかと言う気さえしてくるから不思議なものだ。

 朝一の煙草に直ぐ様、血管が収縮し、頭が痺れ出す。

 リビングに移動し、テレビの電源を入れると懐かしい曲が微かに耳に届いてきた。

 嫁さんの睡眠を妨げない様、音量は限り無く絞られている。

 巷に溢れる数多の流行曲を一気に過去の混沌へと押しやり、日本の音楽シーンを瞬時に席巻したその曲は、十数年たった今、消え入りそうな音量で聴いても尚、躍動感に溢れていた。

 その歌に、女性アナウンサーの上ずった声が重なる。

「デビューシングルの売上枚数は200万枚を突破!」

「1stアルバム、累計売上枚数765万枚を超え、日本国内の歴代アルバムセールス1位を獲得!」

「2ndアルバムでは初週売上枚数が歴代1位となる300万枚を記録!」

「2007年には、当時のデジタル・シングルのセールスにおいて世界1位に輝く!」

「アルバム4作品がオリコン年間アルバムチャートで1位!」

「休業前までのCD総売上枚数は、なんと3620万枚!」

 アナウンサーが、曲に合わせて畳み掛ける。

 僕の意識は、まだ覚醒仕切っておらず、しかも起き掛けに吸った煙草の所為で、随所が眩んでいる。

 そんな惚けた自我も、余りの“戦績”の凄まじさに圧倒され、すぐに明瞭なものとなった。

 朝から資本主義の指標である数字だけに光りを当てて、人の耳目を惹き付けようとする情報番組の手法もどうかとは思う。

 だが、それでもやはりこの天文学的数値が訴えかけてくるものは大きく、我々の様な小さな幸福感を抱きかかえる様にして生きている者達にとっては、愕然とする以外に対処法等ないと思い知らされる。

 まだしつこくアナウンサーが、何事かを捲し立てている後方で、薄くあの懐かしい曲が鳴っていた。

 数字は、ますます積み重ねられてゆき、この曲の唄い手が、人が憧れたり、妬んだり出来る重力圏には、存在していない事を実感させた。

 微かな音量で鳴っていた“Automatic”が止み、“真夏の通り雨” が後を引き継ぐ。

──アナウンサーは、宇多田ヒカルの完全復活を告げていた。

 先程とは打って変わって、深みのある曲調へと変化しているにも関わらず、アナウンサーは興奮している所為か、全くペースを合わせ様としない。

 八年半振りにリリースされた宇多田ヒカルのアルバム、『Fantôme』は世界中のセールスランキングでも上位に食い込んでいるらしかった。

 アナウンサーが大仰な嬌声を上げ、各国でのアルバムの売れ行きを盛んに紹介してゆく。

 何だかうんざりして、テレビを消そうとすると甲高い声で「私もアルバムを今、聴いているんですが、斬新で重厚で…」と語り出した。
 
 そこで限界を向かえ、テレビを消した。

 あの女性アナウンサーの言動に嫌気がさしたわけではない。

 誰がどう褒め称え様が、貶そうが宇多田ヒカルと言う巨大な存在を前にすると、その全てが安っぽく感じられてしまうのだ。

 自分の言動が、聞き手に陳腐に伝わるとなると、なかなか迂闊に発言できなくなるのが人だと思う。

 そう言った局面で数字と言うのは、とても便利なもので、“世界各国のランキングで上位を占めている”等と結果だけをアナウンスしてしまえば、言葉を紡ぐ努力をせずとも、人の行為の勝敗を簡単に伝える事ができてしまう。

 僕は数日前に、この宇多田ヒカルの復活作を購入していた。

 約二年振りに買ったCDは、社会生活を送る上で生じてくる様々な感情の粟立ちを、見事に何処かへと押しやった。

 音楽に熱心に触れる事で、溢れる自我をコントロールしていた頃の様に、僕は熱を込めて『Fantôme』を聴き込んだ。

 また宇多田ヒカル本人が『Fantôme』をどの様に語っているのかを知りたくなり、動画を見たり、記事を読んだりして、かなりの時間を、インターネットに広がる情報の海峡へと潜行してゆく事に費やした。

 秋口頃から考えても仕方のない雑多な乱れた波に僕は晒されていて、何か早急に他の事へと没入し、この頭を悩ませている事柄から、意識を散らさなければならない必要性に迫られていた。

 そんな時に、『Fantôme』を手にできた事はとても幸運だった。

 己が作り出した乱気流によって、精神の両翼を揺さぶられかねない緊張した状態を、『Fantôme』に熱量を注ぐ事で脱せそうな所までは、何とか辿り着けたのだ。

 全ては、宇多田ヒカルが復活し『Fantôme』をリリースし、自分がそれに反応した事で得られた結果である。

 己の言動が安くなる等と恐れている場合ではない。

 僕は等身大の自分で、宇多田ヒカルと言う巨大な存在の復活劇を書き残さねば…と言う身勝手な使命感に駆られたのだった。


 大学を卒業し、僕が大阪に出てきた年に宇多田ヒカルはデビューを果たす。

 身の回りの環境が、大きく変化した所為か、そのデビューが余りに鮮烈だったからなのか、はたまた二つの理由による相乗効果なのか、この国の音楽シーンにとっての転換期の事は、酷く印象に残っている。

 僕達の世代にとっても、我が国にとっても、大きな衝撃を残しているのは、阪神大震災地下鉄サリン事件が起こった1995年である。

 二十世紀が、その象徴である激動を最後に炸裂させたのが1995年であった。

 一つの時代が95年を境に、終着点を求めて加速してゆく。

 国内の音楽シーンは、90年代に入ってから暫く、小室哲哉のものとなっていた。

 小室哲哉がプロデュースした若者達の唄声は、急速に日本の隅々まで伝播してゆき95年、社会現象にまで昇華した。

 そろそろ飽和状態なのは、誰の目にも明らかだったが、一つのシーンが変革を遂げてゆくのには膨大な時間を要する。

 緩やかに変化を続け、新しい世代が台頭してくるのは、世紀を跨ぎ超えた後になる様だった。

 二十世紀、音楽年表の最後の一行は“小室哲哉ブーム”と書き記され、閉じられる筈であった。

 しかし98年、そんな緩やかな流れを拒否する様に、後の音楽シーンを牽引して行く事となる新しい波が突如、次々と押し寄せてくる。

 その中でも一際、強大で速度を伴った波は、宇多田ヒカルと言う十五歳の帰国子女か起こしたものだった。

 気がつくと、デビュー曲『Automatic』は街角のあらゆる場所から聴こえてくる様になり、仲間との会話の中にも、“宇多田ヒカル”や“Automatic“と言った単語が頻繁に登場してくる様になっていた。

 この“Automatic”は後年、巷に溢れていた全ての曲を色褪せさせたとまで言われている。

 “Automatic”を聴いた後、どんな曲が流れても、リスナーは「この曲はもう古い」と感じる様になってしまったと言うのだ。

 この挿話には、多分に大袈裟な物が含まれている。
 
 しかしそれをただの与太話では終わらせない、リアルな斬新さを“Automatic”は持ち得ていた。

 ただ当時の僕は、“Automatic”に鋭く反応する事など到底できず、「えらい本格的な発音する娘が出てきたなぁ」くらいにしか思っていなかった。

 都市に出て来て、時間も浅かった為、音楽について深く語れる仲間も機会も、僕はまだ手にしていなかったのだ。

 まだ大学に通っていた、その頃の彼女は定期的に僕に会うためだけに、大阪まで出て来てくれていた。

 その彼女は、大学で“Automatic”が流行していると会う度にしつこく言っていたし、口ずさんでもいた。

 僕が巧く喰いつけなかっただけで、宇多田ヒカルは若者の心を的確に捉えていた様だ。

 その後、すぐに発売されたセカンドシングル“Movin' on without you”で、やっと僕は宇多田ヒカルの音楽性に感応する事ができた。

 “Movin' on without you“は歌詞だけに、目を向けてみると、十代の少女が綴っているだけあって、何処か青臭いものが漂っている。

 だからこそ大人の介入が拒まれている事を証明しているし、青臭くてもそこはやはり宇多田ヒカルで、言語の切断面が鮮やかで、そのセンスは十分に発揮されている。

 この詞が、リズムに乗り、透明感のある美声で歌われると、途端に青臭さが抜け落ち、一気に完成度が増す。

 宇多田ヒカルは、その歌詞からも受け取れる様に、十代の未成熟な感受性、若者が共感できる部分をちゃんと持っている。

 しかし作曲や歌う事に関しては、もう出来上がり過ぎていて、とても十代と言う稚拙な枠内に納まり切るものではなかった。

 高速で流れる様な疾走感と、本能に訴えかけてくる躍動感は、斬新さとして世の中に、瞬く間に受け入れられていった。

 ロック、パンク、ガレージ…等の周辺を彷徨き回っていた僕も、宇多田ヒカルには酷く惹きつけられ、それ以後はCDがリリースされると、軸に据えていた“ミッシェル“の聴き込みを一時、中断させて、暫くの期間は宇多田ヒカルの聴き込みに時間を充てる様になった。

 そんなサイクルを僕は数年の間、続けた。

 ただ今になって、振り返ってみると、それはスリリングな経験とは言えなかったと思う。

 リリースされる度に購入した宇多田ヒカルのアルバムは、毎回、高い水準で安定していて、必ず聴き込んだ分だけの一種の見返りを僕に与えてくれた。

 “traveling“の様に全てが、その時の自分が欲していたものとピタリと符号し、「完璧だ!」と思えるものもあれば、当然、そうでないものもあった。

 ただどんな曲も、高々度を飛行していて、全く何も感じられないと言う事は皆無だった。

 例えば、同時期くらいから今も読み続けている作家、中村文則氏の著作には、心の深部に強く刻まれるものもあれば、読後に「何がしたいんじゃい!」と怒りすら覚えてしまう程の、消化不良感を伴うものがあったりする。

 それに比べると、常に高水準を軽々と突破してくる宇多田ヒカルの新作は、必ずリスナーの期待に応えてくれるだけに、聴き込んでいて、スリリングな感情は沸き難かった。

 溢れる才能ゆえに、危機に陥る事のない絶対的な王者。

 若くして才能を認められ、しかもそのセンスは世界を魅力する事が可能な程、桁違いであり、名声も富も既に手にしている。

 この大衆の生活と大きく解離してしまっている状況の中で、果たして宇多田ヒカルはいつまで人々の心を打ち続ける事が、できるのだろうか。

 音楽シーンでは、何年も陽の光を浴びられなかった歌い手が、何とか這い上がってきて、受難の季節を耐え抜いてきた強靭な精神力や、あらゆる物への飢えを飼い慣らした末に手にした説得力や、そして抜け落ちてしまった若さと引き換えに獲得した味等を、全て一曲にぶつけた結果、人々の魂に強く響く曲が生まれると言う事が稀にある。

 リスナーは、そんな苦労人にこそ自分を重ね合わせ、より感情移入する。

 そう言った一種の泥臭さみたいなものを、宇多田ヒカルは一切、感じさせない。

 それは、それで他にはない利点ではあるのかもしれない。

 宇多田ヒカルと同じく、歌に“1/fゆらぎ“なる物が現れるとされる美空ひばりの歌声には、過酷な時代を生き抜いてきたと言う自負と凄味が含まれている。

 少女時代に戦争によって、心身を痛めつけられた人々の心を癒すためだけに歌ったと言う壮絶な体験が、御嬢の歌声には籠もっていて人の心の奥底を揺さぶる。

 環境や才能に恵まれている様に、人には見えている宇多田ヒカルの歌声に、センス以外の何かが宿る時が果たして来るのだろうか。

 いつしか僕は真新しさや独創性以外のものを、宇多田ヒカルの歌声に期待する様になっていた。

 それは何も自分だけに限った事ではなく、デビューしてから数年を経た宇多田ヒカルに対するリスナーの視線はいつしか、徐々に厳しくなっていった。

 大衆の勝手で気ままな要求は、世の常である。

 しかし時の空気感を顕著化させず、そんな虚ろなもの等、霧散させる程の圧倒的な完成度と数字を、変わらずに宇多田ヒカルは啓示し続けた。

 ただ自ら振り払ったものを良しとしない冷静さと、敏感さを持ち合わせているのが宇多田ヒカルと言う人であると思う。

 奇しくも映画、“あしたのジョー”の主題歌である“Show Me Love (Not A Dream)“では、そんな心中が浮かび上がっている様な歌詞が散見される。

 
 抑え込んだ其れは消えず

 二兎を追う者、一兎も得ず
 
 矛盾に疲れて 少し心が重くなる

 逃げたら余計怖くなるだけって

 分かってはいるつもり

 自信の無さに甘えてちゃ見えぬ

 不安だけが止まらない

 私は弱い

 だけどそれは別に恥ずかしいことじゃない

 築き上げたセオリー忘れよう

 山は登ったら降りるものよ

 実際 夢ばかり見ていたと気付いた時
 
 初めて自力で一歩踏み出す


 宇多田ヒカルは、デビューしてからずっと率直であったと思う。

 いや率直でしかなかったと言える。

 そんな人が、綴った詞だ。

 全てが全て、自分の心情を余す事なく吐露できるとは思えないが、生々しい苦悩の欠片みたいなものが、胸に迫ってくる。

 若い頃より心酔してきた“あしたのジョー”の実写映画は何度、観ても、宇多田ヒカルの心情にばかり、心が向いてしまい、全く内容が入ってこなかった。

 
 この曲を歌って暫くすると、宇多田ヒカルは永く、過酷な休業に入る事となった。